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単なる印刷会社ではなく情報メディア産業の会社として付加価値を生み出す

株式会社陽幸社
代表取締役 大西 英資



創業から現在に至るまでの変遷について教えてください。

創業者である私の父は以前、陽成社という製版会社に勤めていました。製版とは作業指示書に従って印刷の原版を作る仕事です。製版会社で働く中で、この仕事であれば自分に向いていると思い独立を決めたと聞いています。私の祖父も材木屋を経営していた影響で、父もいつかは独立したいという思いがあったようです。

勤めていた陽成社の社長さんに製版業で独立したいので社名を付けて欲しいと相談をしたところ、「陽成社」と父の名前である「幸造」から一文字とって「陽幸社」という社名をつけていただき、昭和42年に会社を設立する運びになりました。父が39歳の時の創業でした。

創業したのはまだ活版印刷が主流の時代で、オフセット印刷が出始めた頃でもありました。そこでオフセット印刷の原版を造る製版業の会社としてスタートし、父の時代は製版一筋でやってきました。

私の代になってからは印刷機を導入し、製版だけでなく印刷・出力まで取り扱うようになり、印刷業界の中で事業ドメインを拡大してきました。また、印刷業界全体が業態変革を考えなければいけない時代になってきていることから、Web制作の事業も始めています。陽幸社は広義の情報メディア産業の会社として歩みを続けているんです。



大西社長が陽幸社に入社された経緯を教えてください。

独立思考というかトップを意識するようになったのは高校時代の経験が大きかったと思います。全寮制の高校に進学をして、周りに同年代しかいない寮生活を経験したことで、社会の中での立ち居振る舞いや影響力について考えさせられ、自我が目覚めたんです。

中学の頃は頭角を現していたわけではなかったのですが、高校時代は成績でトップクラスに入ることができ、また寮長や生徒会長をやらせてもらったことで、集団におけるトップを意識するようになりました。

大学を卒業する時期になり、父に就職について相談をしたところ「継ぐことを考えなくてもいい。自分の好きなところに行け」と言われたんです。将来的に父の会社を継ぐことも選択肢の一つとして考えながら、いつかは独立してトップでやりたいと思っていたので、独立を目指していけるような会社を中心に就職活動をして化粧品会社に就職しました。

ただ、周りから「いずれ親の会社を継ぐのであれば早い方がいい」とアドバイスされたことがきっかけで、入社一ヶ月でその会社を辞めて急転直下、陽幸社に入ることとなります。

父は少し驚いていましたが、入るからにはまず現場を経験しろということで、1987年に入社し一年目は現場の仕事からスタートしました。


入社後はどのようなキャリアを歩まれてこられましたか?

初年度は現場を経験し、二年目からは営業の仕事を担当してきました。入社してから数年が経ち一つのターニングポイントになったのが、当時アナログ生産が中心だった製版の業界に、Macintoshが登場しデジタル技術が台頭してきたことが挙げられます。

デジタル技術を導入するためには当社にとっては相当高額な設備投資が必要だったのですが、会社を継続させていくためにはデジタル化できるかどうかが重要なポイントでした。アナログ生産を生業にしている従来のスタッフではデジタル技術を取り入れることが難しかったため、私が中心となってデジタル化を推進することになりました。

設備投資に今までかけたことのないような金額が必要だったため父からは相当心配はされましたが、やらなければ会社の将来はないと思いデジタル機器を導入したんです。デジタル技術の導入により生産性も飛躍的に上がり、売上げ的にも非常に貢献することができました。新しい技術であるため誰にも相談することはできませんでしたが、苦労した分、面白かったですね。

20代後半から30歳にかけてデジタル技術の分野で実績を上げ、1997年、私が32歳、父が70歳の時に代表を交替し、二代目として会社を引き継ぎました。従来のアナログ生産と棲み分けしたゾーンで新しい技術の開拓を担当したことで、私が二代目として会社を引き継ぐ土台が作れたと思っています。
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二代目として社長に就任されてから、どのようなことに取り組まれましたか?

印刷業界の中で製版の工程は中間工程にあたります。前工程があるため非常に時間的な制約を受けるポジションなんです。そのため、人が休んでいる間に働いたり、夜遅くまで働かなければならないという業界特有の問題点も抱えていました。

同業者の間では、前工程が遅いから我々の仕事にしわ寄せがきて苦労する、だからこの業界は儲からないんだと、誰かのせいにして悲観するような風潮が強かったのですが、私はそれに違和感を持っていました。誰かのせいにして愚痴を言っていても始まらないじゃないですか。それが嫌なら自分から主体的に働きかけるようにすればいいんです。

私は、製版の仕事だけではいずれ苦しくなるだろうと考えていたため、社長に就任した直後、過去最大の設備投資をしました。製版だけでなく印刷・出力するところまでやりたいと考え、約5000万円かけて印刷機を導入したんです。

印刷機を購入したことで、それまでずっと製版業一筋だったのが、印刷業界に進出して事業領域を拡げることができました。マーケットを拡げたいと考えていたため、一般の人に説明しても分かりにくい製版業だけでなく、一言で分かる印刷業をやりたいとは常々思っていたんです。

製版屋さんだとお客様からありがとうと言われることはまずありません。印刷屋さんであれば、たとえば自費出版など、お客様の想いをキレイに形にして差し上げると、すごく喜んでいただけて、ありがとうと言ってもらえます。製版業は中間工程だからと愚痴っているのではなく自分の仕事でアイデンティティを持つためにも、印刷業に進出したいという思いはありましたね。



現在、課題だと感じられていることがあれば教えてください。

印刷業は在庫を持たない堅実なビジネスではあるのですが、お客様のニーズがあって初めて仕事が動き出すため売上の予測を立てづらく、待ちのビジネスから脱却できていないことが課題です。

我々の仕事は受注産業ですから、お客様のニーズをいかに捕まえるかが大切になってきます。同じものを売っていたとしても切り口が変わると見え方も変わってくるため、今までは頼まれたから制作するという流れでしたが、今後はお客様のニーズを引き出していかなければなりません。

また、新しい事業展開としてWeb事業を始め、単にホームページ制作やランディングページ制作に留まらず、SNS活用支援や更新・記事代行、Web広告の制作・運用など一貫して提供できる戦略的なWebマーケティング支援体制を構築しています。

Webと印刷を融合させたクロスメディア戦略でお客様の販促支援をしたいと考えているんです。ただ正直に言って、まだまだ収益の核になるまでにはなっていないため、今後いかに労働集約し、お客様のニーズを捉えていくかが課題になってくると思っています。



今後の展望について教えてください。

陽幸社の一番の強みはお客様の困りごとを解決する問題解決能力だと思っています。現在は普通の印刷物であればどこでも製作できる時代です。各社技術力が高まってきていて差別化がしにくくなってきている中で、お客様が困っていることや面倒くさいと思われることにお応えすることが求められています。

極端に言えば、お客様からの「何かない?」に、何らかの答を用意できる集団になっていかなければなりません。

そう考えると、少なくとも印刷の生産工場にはならないと思っています。お客様との接点を持ち、お客様へのアイデアの提供や業務の代行といった便利さの提供こそが陽幸社の存在価値になってくると思うんです。

今後は設備投資をしていく中でも、生産設備ではなく発想を生み出すキッカケになる見本をつくる機械などに投資をしていきたいですね。生産は外部に委託しながら、社内では柔軟な発想を生み出す仕組みを作っていかなければ付加価値を生み出すことはできないと思っています。

そのためにも、セクション間の壁を取り除き、製造と販売の距離をもっと近づけて一体となってお客様に向き合える組織づくりをしていかなければなりません。収益性とコミュニケーションをテーマに掲げ、少しずつ着手しているところです。

陽幸社の主力事業は印刷業ですが、お客様は印刷物が欲しいわけではなく、印刷物を通して会社の販売促進や売上げ増加を期待されているんです。言われたものを作るだけでは、お客様のニーズを満たすことはできません。印刷業ではなく情報メディア産業の会社として陽幸社独自の付加価値を生み出していきたいですね。







 

<インタビュー情報>
株式会社陽幸社
代表取締役 大西 英資
会社ホームページ http://yokosya.co.jp/

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