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確かな技術と日々の研鑽で、多難な時代を生き抜いていく

有限会社 山本鉄工
代表取締役  山本 一徳



創業から現在に至るまでの変遷について教えてください。

創業は1968年。今年でちょうど50周年を迎えます。現在75歳の父親が会社を設立して、2000年に私が入社しました。父親が体調を崩したことをきっかけに、2010年に私が社長に就任し、父は会長として今も現役でがんばっています。

扱っているのは機械加工全般で、業種で言えば製造業になります。今メインでやっているのは、プラスチックのブロー成形機の部品を作る仕事です。簡単に言うと、シャンプーの容器などのプラスチック容器を作る機械の部品を製作しています。

これまでに、バブル崩壊やリーマンショックなど、数々の困難に出くわしましたが、機械加工をやめて違う業種に移ろうとしたことは一度もありません。

つい最近も、シャンプーなどの詰め替え使用が主流になり、プラスチック容器の需要が減少したことで当社の業績も落ち込みましたが、それでも他の業種には手を出さないようにしました。確かに仕事が減って不安な時はあったものの、そういう時に他の業種に手を出して、いい加減な仕事で信用を失うようなことになったら全てが台無しです。

経営が苦しいときこそ「顧客の信用を裏切らないようなものを作る」ことが、一番大切だと思っています。



御社の強みを教えてください。

ひとことで言えば、「腕がお金になる」こと。つまり、技術さえ身についていれば、それが売上げになり利益になるということです。

この業界では一般的には材料費が3~4割かかります。しかし、当社は材料費が1割程度しかかりません。つまり、1,000円の材料が、自分の手で1万円になるんです。技術力により原価を抑えて利益を増やすという仕組みです。

他社がやらない、嫌がるような仕事も出来る限りやっています。価格競争になれば、会社の体力勝負になるので大手に勝てません。他社ではできないような技術を武器に勝負しているのです。「高いけど、山本鉄工さんしかできないからお願いするよ。」と言っていただけることがウチの強みです。

もちろん人の技術力だけではなく、設備投資は惜しまず最新式の機械を導入して仕事の効率化も図っています。その機械のパフォーマンスを最大限に活かせるのも、やはり人の技術と知識なのです。

うちでは、この機械はこの人というように、それぞれの機械を操る熟練工がいます。従業員一人ひとりが、機械ごとの専門家で熟練者。機械の操作を安心して完全に任せられる、信頼できる人しか雇っていません。そういう意味では、うちの従業員は全員私の「右腕」です。これもうちの強みですね。



幼少期から家業を継ぐことを意識されていましたか?

一般的な家庭と一番違うのは、やはり親が働く姿を間近で見ていたこと。今の場所に移す前は、工場が自宅のすぐそばにあったので、幼少の頃から父や従業員の方々が一生懸命働く姿を見て育ちました。働くことが生活につながっていることやお金の大切さは、誰よりもわかっていると思います。また、ものづくりが好きだったので、工業大学の機械科に進んだのも自然の成り行きでした。

ただ、学生時代は、あまり家業を継ごうとは思っていませんでした。よく言われる一度外で修行して家を継ぐなんて全く考えておらず、周りに合わせて自分も就職活動を始めて、それなりの企業に入ってサラリーマンをずっとやるんだろうな、と思っていたんです。

大学卒業後は、日本鋼管の系列会社に就職して技術系の仕事に就きました。当時はバブルがはじけた頃で、勤めていた会社のそばの町工場が大変な状況になっていることを見聞きするようになり、そこではじめて実家の状況と自分の立場を理解しました。家に戻って後継ぐか、そのままサラリーマンでいるか相当考えさせられましたね。悩みに悩んだ末、2000年に実家に戻り家業を継ぐことを決意しました。



社長に就任されるまでの経緯を教えてください。

家業を継ぐ決意をして戻りましたが、まず役職無しの平社員として知識や技術を身につけることから始めました。お客様に図面を出されて「できる?」と聞かれ、「持ち帰って検討します」では示しがつきません。後を継ぐにしても、まずは自分で機械を使って知識や技術を身につけていないと話にならないため、毎日毎日機械を使って物を作ることに専念しました。

社長になるまではもちろん、社長になってからも変わらず、機械を使って物を作り続けています。ただ、今でも親父の技術と仕事のレベルにはかないません。一人の職人として本当に尊敬しています。

私が二代目として社長に就任したのは2010年、40歳になる手前です。父が体調を崩したのが代表を交代したきっかけでした。この時父は70目前の歳で、対外的にも今後も安心して取引いただくためには、このタイミングで替わった方がいいだろうということになったんです。

2000年に戻ってきた時から、いずれは継ぐのだろうとは思っていました。社長としてやっていけるか不安だったものの、父が入院中の1ヶ月間社長を代行した時に、「あの息子で大丈夫か」と言われずに、なんとかやりきることができたのが自信につながったと思います。



社長に就任されてから、どのような課題に直面されましたか?

社長になったのがリーマンショック直後だったので、業績としては一番厳しい時期でした。製造業はどこも同じような状況だったと思いますが、仕事が減少して金曜日を休みにしたこともありましたね。

また最近、一番影響が大きかったのが、シャンプーなどの詰替え用パッケージの台頭。最初はあまり危機感を持っていなかったのですが、一気にプラスチック容器の需要が落ち込み、結果的に容器を製造するための機械が売れなくなります。これは想定外の展開でした。

こうした流行廃りなど、時代の流れには必ず山も谷もあるので、その都度最善の努力で対処してきました。新しい機械を導入するなど設備投資で作業効率を上げたり、私自ら新規のお客様獲得に奔走したりして何とか危機を乗り越えてきたんです。

今もプラスチックストローの問題が噴出して以降、プラスチックから紙への流れが世界的な動きとなっていますし、外部環境の変化はどうすることもできません。時代の流れや環境に影響を受ける事は多いですが、そんなことには左右されない高い技術力と長年培ってきた信用で、今後も立ち向かっていくつもりです。


(今も現場で随一の技術力を発揮する先代の山本 清会長)

二代目社長として変えるべきことと変えてはいけないと思うことは何ですか?

変えてはいけないことは「経営者が現場に立ち続ける」こと。うちは社長も会長も現場にいるので、従業員はものすごくやりづらいと思います(笑)。でも、社長が現場にいて全てを把握しているので物事を決めるのも速いですし、社長命令で動けるので無駄や迷いも無くなります。

それから、これは先代からずっと守り続けてきたものですが、「お客様の信頼を裏切らない」こと。データ改ざんの話なども良く聞きますが、一度やってしまったら今まで築いてきたものをすべて失ってしまいます。信用を無くすことだけは絶対にいけないと、従業員に徹底しています。

もう一つは、とにかく「怪我をしない」こと。怪我は、した方も周りも辛いもの。安全第一が何よりも大切です。

変えなければいけないことは「技術力」。工具や機械の進歩はめざましく、そうしたものをうまく活用できる技術と知恵の向上が必要です。早く、質の良いものを作るためには、こうした道具も活かして技術を進化させていくことが大切です。



今後の展望をお聞かせください。

最大の目標にしているのは「現状維持」。現状を維持するためには、常に上を目指し続けなければなりません。技術の研鑽を怠るとすぐ下に落ちてしまいます。うちのような技術が売りの会社には、こうした日々の研鑽と努力を続けていくことが必要なんです。

この先も順風満帆にはいかないと思っています。変化に柔軟に対応していかなければなりません。今7~8割を占めているメインのお客様の仕事のシェアが5割くらいになったとしても、倒れないだけの体力も付けなければいけないとも思っています。まずはこれから30年はやり続けられるように、目の前の仕事をきちんとこなすこと。それが大切です。

ただ、従業員に夢を与えられるような社長ではありたいです。そして、若い従業員にとっての希望の光になりたいですね。

私たちの仕事は、物を仕入れて販売するスーパーのような仕事と違い、自分の手が、自分の技術がお金になる商売です。自分の技術力が上がればそれが収入につながる。そういう仕事なので、もっと自信を持って良いはずだと思っています。

そのためにも、社長自らが技術を磨いて、ああなりたいと思ってもらえるようにならないとダメなんです。後継者不足が社会的な問題となっていますが、今は「なり手が居ない=人数が少ない」のでは無く、「なりたい人が居ない」のだと思います。社長が楽しく仕事をしている姿を見せると、おのずと従業員も仕事が楽しくなり、跡継ぎになりたいという人も増えてくるはずです。

事業継承において大切なのは、社長自らが従業員や家族に自分の働きぶりを見せること。家ではお母さんが子どもに、お父さんが頑張ってくれているおかげで豊かな暮らしを送れることを教える事ですね。そのためにも奥さんを大事にしないといけないですね(笑)。


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<インタビュー情報>

有限会社 山本鉄工
代表取締役 山本 一徳
会社情報 https://www.nc-net.or.jp/company/45605/

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