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新しいことに挑戦していくことで会社を成長させたい

株式会社横浜造基
支店長 政野屋 翔太


横浜造基に入社した経緯は何ですか?

大手飲食店の店舗経営を学びたいという思いから、最初は大手のファミリーレストランに就職しました。飲食業に興味を持ったのは母が横浜で居酒屋を経営していたことに影響を受けています。母の影響で小さい頃から料理を作ることがとても好きでした。

ファミリーレストランでは半年ほどで店舗を任せられるようになり、1年くらいで実績も出せるようになりました。約2年働いていたのですが、ちょうどその頃、母が居酒屋の経営を他の方に譲って一線から引退することになったのです。

母が居酒屋の経営を続けていたら、そちらを継ぐことになっていたかもしれませんが、母の引退をきっかけに飲食業を辞めて営業の仕事にトライしてみたいと考えるようになりました。店舗に来店してくださったお客様の満足度を上げるといったことはファミリーレストランでもやっていたのですが、外に働きかける営業的な仕事をしことがなかったので、経験したことのない営業という仕事に興味を持ったんです。

ちょうどそのタイミングで父から連絡があり、「横浜造基で営業の仕事をしてみないか」と声をかけられたことで横浜造基に入社することを決めました。最初は営業の勉強だけさせていただくつもりで、継ごうという気持ちはまったくありませんでしたね。


(NC加工機)

当初は継ぐ気持ちはなかったとのことですが、継ぐ意思が固まったのはなぜですか?

大学のときも文学や経済、経営の勉強をしており、ものづくりの「も」の字も分からない状態で入社しゼロから学んでいく中で、私たちはやっぱり3次元で生きているので、絶対にものづくりは必要不可欠だということを実感しました。

いかに良いアイデアを生み出せるか、いかにお客様の利便性を考えて商品を提供できるかを考える仕事の奥深さを学んだことで、ものづくりの仕事が本当に好きになっていったんです。

また、祖父が1960年に横浜造基を創業して今年(2018年)で58年目になるのですが、リーマンショックのときに物凄く厳しい状況に追い込まれたことがあります。厳しい経営状況の中で、従業員が給料の減額にも耐えて辞めずにいてくれたおかげで何とか切り抜けて会社を存続することができたと父からは聞かされてきました。

祖父や父の人望もあったと思いますが、従業員の方々は本当に良い方ばかりで、彼らの努力や犠牲の上に今の横浜造基が成り立っていることを思うと、恩返しをしなければならないという気持ちが強く芽生えました。

58年という歴史の中で、これまでは根性論で乗り切ってきたことが多かったと思います。そのため、私のような若い人間の新しい考え方で合理的な経営にシフトすることで、もっと売上げをあげて会社を成長させ従業員にも還元していきたいと思い、横浜造基を継ぐ決意が固まりました。

父に継ぐ意思を伝えたところ、照れ隠しをしながらでしたが、内心は喜んでくれたとは思います。父が65歳を迎える4年後には引き継ぐイメージで準備を進めています。



(経営者交流会にて)

今後事業承継をしていく上でどのような課題があると思われますか?

あと4年で事業を承継することを考えると、様々なことを学びながら急ピッチで準備をしているような段階です。

現在、社員数は約30名で家族のような関係性でやってきていますが、60代が約3分の2を占めており平均年齢が高いので、組織の若返りは早急に進めていかなければなりません。早い時期に若い人材を採用して、ものづくりの技術や経験、ノウハウを引き継いでいく必要があると思っています。ただ、若手の良い人材は中々集まりづらくなってきているので難しいところはあります。

加えて、今まで積極的に設備投資をしてこなかったため、今後は設備の入れ替えも必要になってきます。大型のマシニングセンタがあることが横浜造基の特徴の一つなのですが、中には30年近く使い続けている機械もあるんです。

横浜造基ではドライ加工を主でやっているためマシンが痛みづらく長持ちするので、部品のメンテナンスをすればまだまだ全然使えるのですが、モーターの回転数や馬力の点では最新のマシンの方が優れていますからね。

1台入れ替えるのに2~3億円はかかるので、資金調達などのタイミングも見計らいながら設備投資を考えていこうと思っています。

組織的には承継の準備は整ってきていますか?

創業者の祖父がおり現社長の父が二代目で、私が三代目候補として今いるわけですが、私がサバサバしている性格ということもあり、従業員の方々は好意的に受け入れてくれていると思います。

実は創業者の祖父が最近まで社長を務めており、父に代表を交代したのは2年前なんです。実質的には専務という肩書で父が会社を牽引してきたのですが、創業者として会社に対して自分の子ども以上の思い入れがあったのでしょう。祖父は財務の面など多くのことを抱え込んでしまっていて、なかなか父に全てを引き継ぐことができなかったようです。

それもあって父は早い段階で私に引き継ぐことを考えてくれているんだと思います。私が継いだ後のことを考えて父が色々と動いてくれているのは本当に有り難いことだと感謝しています。

引き継ぐにあたっては、技術職の方が多いため会社全体的に技術者としてのプライドや信念という部分が強く、今後そこをどう調整していくのかが私の役割になってくるとは感じています。

これまで培ってきた技術を使ってどういうことをやっていきたいか、どういったことを改善してほしいかを従業員にヒアリングして、変えるべきところはどんどん改善していきたいですね。ものづくりの職人としての自尊心と折り合いをつけながら改革を進めていくつもりです。



事業展開としてはどのような構想をお持ちですか?

横浜造基の主要事業である自動車の検査冶具は市場規模が縮小傾向にあります。型の量産に際して必要不可欠な製品なのでなくなることはないと思いますが、オーダー数は徐々に減ってくると思いますし、今よりも簡易化は進んでくると思います。そのため、新しい事業を考えていかなければならない段階に来ています。

現在はプレスの量産など、検査冶具とは異なる分野での事業化に取り組んでいるところです。まだ技術的に自社だけではできないため、クライアントと協力メーカーを繋ぎ合わせる仲介のような形ですが、将来的には技術とノウハウを蓄積して自社ブランドを立ち上げたいと考えています。

もちろん、新しい風を会社に引き入れていくことに社内的な抵抗感がないわけではありません。それは当然の反応だと思っていて、根底にあるのは会社のことを心配してくれているからだと思うので、そういった意見を受け止めつつ方向転換を果たしていかなければいけないと思っています。



(治具加工)

今後の展望について教えてください。

今、事業計画の策定を進めており、単年度の計画は現社長の父が、3~5年の中長期的な計画は私が担当しています。これまでは中長期的な計画を作ったことはありませんでしたが、私が考えていることを社長に伝えて話し合いながら詰めていっているところです。

具体的な数字として、これからの3年間で高付加価値な新事業を形にして、売上げを3億円規模に上げるのと同時に、効率化を進めて原価率を3%低減させたいと考えています。私の中では「3年・3億・3%」のトリプルスリープランとして3カ年計画を設定しているんです。

3%のコストカットは全社的に意識改革していかなければ達成できない目標であり、批判的な意見が出そうではありますが、それだけ余分な部分がまだまだあるということです。初めから諦めていては実現できるはずもないので、少し無茶だと思われるくらいが丁度いい目標設定ではないかと思っています。

これまではお客様からのオーダーに対して受動的に仕事をしていくようなスタイルだったので、中長期計画を通して目標に向けて能動的に動いていく意識をアピールしていきたいんです。3年後の目標も通過点に過ぎないので、早めに目標を立てて実行していきたいですね。

売上げに関しては、過去の景気が良かった時代と比べると検査冶具の単価はピーク時の3分の1くらいまで下がっているため、新事業の推進や新規顧客の獲得が重要になってくると思います。新しいことにチャレンジしていくことで会社として上昇していく雰囲気や感覚を従業員の方々にも感じてもらいたいですね。会社の業績を上げ、給与にも反映させていくことでモチベーションを上げて、その流れを利用して会社を成長させていきたいと思っています。

定性的な部分では、これまでは経営理念を掲げていなかったので、今後は組織としてのベクトルを合わせるためにも経営理念やビジョンを明確に示していきたいと考えています。また、受動的な仕事のスタイルを能動的に変えていくためのマネジメントも必要になってきます。理念策定を率先的に進めながら社員教育の仕方も検討しているところです。

祖父や父から引き継ぐ会社を守っていくことと成長させていくことが私の使命だと思っています。私には息子が一人いて、将来的に4代目を継ぐかどうかは息子の意思次第ですが、息子がうちの会社に入りたいと思ってくれるような会社にはしていきたいです。そのためにも、自ら継ぎたいと思えるほど魅力のある会社にしていかなければなりませんね。


 

<インタビュー情報>
株式会社横浜造基
支店長 政野屋 翔太
会社ホームページ http://www.y-zoki.co.jp/index.html

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