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天才肌の先代とは異なる自分流のやり方で未来を切り開く

宇都宮ビジネス電子専門学校
理事長 大久保 知裕



創業から現在に至るまでの変遷について教えてください。

宇都宮ビジネス電子専門学校は、私の父である大久保登志正が昭和59年4月に開校。外資系の大手生命保険会社に在籍していた父が、祖父母から相続した土地を活用して自分なりのビジネスを始めたいと一念発起し立ち上げた専門学校です。まだパソコンが現在ほど普及していなかった時代に、これからはコンピューターの時代だということで「電子」を学校名に掲げたのは、父の先見の明だったと思います。

栃木県で最初のビジネス系専門学校だったため、実績がないながらも初年度から100人を超える生徒が集まったようです。開校初年度から順調に学生数を伸ばしてきました。

ただ、いずれ少子化の時代がくることは分かっていたので、長期的な視点で考えると生徒数の減少は避けられないだろうという思いがあり、平成3年に認可を受けてケーブルテレビ事業を開始。それが宇都宮ケーブルテレビ株式会社になります。

ケーブルテレビ事業は設備投資に膨大な費用がかかり、事業を始めてからしばらくは赤字運営が続いていました。それでも父には必ず成功するという確信があったようです。今から約20年前にはケーブルテレビ事業でも黒字化を達成。現在では宇都宮市内だけでなく近隣にも市場を拡大し、約6万世帯にまで普及しています。

そのほかにも声優・俳優部門やスポーツ・ダンス部門を有する宇都宮アート&スポーツ専門学校や、毎日通うスタイルの通信制高校である宇都宮クラーク高等学院も立ち上げました。現在では専門学校2校と高等学校1校、ケーブルテレビと多角的に事業を展開しています。

一見すると無関係な事業を手がけているように思えますが、父の中では、すでに陽の当たっているビジネスはいずれ斜陽なってしまう、これから社会が必要とするビジネスモデルを模索していかなければならないという思いがあったようです。



先代のお父様の後を継ぐ意識は昔からお持ちでしたか?

私が中学生の頃に父が起業しているので、子どもの頃は普通のサラリーマン家庭で育ってきており、経営者の子どもという感覚はあまりありませんでした。父がどのような仕事をしているのかも正直に言うとあまり理解しておらず、漠然と専門学校を経営しているらしいくらいの感覚しかなかったんです。

父からも継いでほしいといったことは一切言われたこともありませんでしたし、中高生くらいまでは後を継ぐということはあまり考えていませんでした。唯一意識したのが大学生の時、日本経営合理化協会の一倉定氏が話す「社長の心得」というカセットテープを父から聞いておきなさいと手渡されたこと。この時に父の会社をいずれ継ぐことになるのかなと思うようになりました。

ただ、就職先に関しては特に何か言われることもなかったので、1993年、大学を卒業後、ブリヂストンスポーツに就職。スポーツが好きだったので何か携われるような仕事に就きたいという思いと、バブル絶頂の当時、金融や証券業界が人気だったため、逆にモノを作るメーカーで働きたいという思いがあったんです。ブリヂストンでは最初の2年はゴルフボールの生産販売に、その後ゴルフウェアの部門に異動して計6年間勤めさせていただきました。

仕事にはやりがいを感じていましたし、そのまま勤めきるつもりではいたのですが、ちょうど2000年と父が60歳いう二つの大きな節目を迎える頃、一代で専門学校やケーブルテレビなどの事業を興し精力的に取り組んできた父を、安心させてあげたいという思いがあり、2000年1月1日から父の下で働くことを決めました。

学生時代から会社の忘年会や社員旅行には参加させてもらっており、古参の社員の方々には以前から可愛がってもらえていたので、中途での合流でもスムーズに働きはじめることができました。そういった土台を作ってくれていた父には感謝しています。



先代のお父様はどのような方でしたか?

経営者としての父は、例えて言うなら野球の長嶋茂雄さんのような天才肌の人でした。専門学校やケーブルテレビに目を付けたビジネスセンスも含めて、鋭い感覚で時代を掴んで事業を立ち上げてきた人なので、父の真似をするのは無理だと思っています。

一方で、あまり前面に立つタイプではなく、社員に向かって大々的に話をすることはあまり多くありませんでした。父は社長業を裏方のプロデューサー業であると位置づけていたんです。社長としての仕事は2割で、残りの8割はプロデューサーとしての仕事だと。後は誰を登板させるかを考えればいいと言っていましたね。

専門学校の創設期のメンバーが3人幹部として残ってくれているのですが、そのうちの1人が事務長を務めてくれていて、実務面ではその事務長が前面に出て色々と動いてくれています。父はあくまで裏方として方向性を指し示して、実働は幹部をはじめ社員に任せるというスタンスを徹底していました。

商売を大きく成功させるといった野心もそこまで強くなく、発展するよりも会社を潰さないことを第一義として考えるような人だったんです。地域のお祭やイベントなどで協賛として出資をすることは厭わないのですが、協賛者として名前を出すことは嫌がるようなタイプでしたね。社会貢献をしたとしても、それによって名前を売るようなことは父のポリシーに反していたのだと思います。



二代目の理事長に就任されてから、課題として感じられていることはありますか?

役職としては2017年4月に専門学校の理事長に就任したのですが、それから約1年間は父も引き続き経営会議に参加しており、実質的な体制としては変わっていませんでした。最近になって会議に顔を出すことがなくなり、経営のバトンタッチが始まりつつある状況です。

ウチは基本的にトップダウンでなく、現場から意見が上がってくることが多くあります。父は下からの意見を聞き入れつつ、大きな方向性を打ち出すというスタンスでした。多くは語らない人でしたが、大局的な視点で組織の舵を取るのが父の役割だったんです。

父が会議に参加しなくなって思ったのは、今後は私が父の役割を担わなければならないということ。現場からは報告事項や懸念事項が上がってきますが、それに対する意思決定だけでなく、本当にそれだけでいいのか、足りているのかといったマクロな観点で物事を見て経営者としての意見を発信していかなければいけないと思うようになりました。

父からは経営者としての在り方を直接教えてもらうことはありませんし、感性で経営者の役割をこなしてきた父と同じようにするのは難しいと思いますが、私なりのやり方で方向性を指し示していくことが課題です。

私もグイグイ引っ張っていくようなタイプではないので、時代の流れや生徒の気質の変化などにアンテナを張って、潮目の変化を皆にレクチャーをしながら組織をリードしていきたいと考えています。

ケーブルテレビの方も、2018年6月から私が社長代行に就任し、代表取締役を務めている父は会議に参加しないようになりました。それにあわせて幹部社員も世代交代が始まっており、徐々にバトンタッチが進んでいるところです。

実務能力が備わっている若い幹部候補生も数人育ってきているので、経営チームでの価値観の共有や、組織内外に向けた発信力の強化も含め、組織づくりを進めていきたいと思っています。


(宇都宮ケーブルテレビ株式会社 オフィス入口)


今後の展望について教えてください。

ケーブルテレビ事業はこれまで宇都宮市内だけだったのが、2011年に隣町の芳賀町、2015年には真岡市での事業を引き受けるなど近隣の地域にも市場を拡げていっています。ケーブルテレビ自体は、これからも一定以上のニーズは見込めると思っているので、面的な市場の拡大を進めていきたいですね。

ビジネス電子専門学校の方は、「情報処理・ゲーム」、「公務員」、「医療事務」、「経理」、「大学資格+高資格Wスクール」、「幼児保育」、「経営・販売・ホテル・ブライダル」など多岐に渡る分野を取り扱ってきており、それら全部をパッケージにしたようなイメージになってきているので、今後は1つひとつに磨きをかけたブランディングをしていきたいと考えています。

また、個人的にはクラーク高等学院に力を入れていきたいという思いがあります。何らかの事情で学校に通えなくなってしまった子どもたちが、まずはウチに通えるようになってくれることがキッカケになって社会との接点が持てるようになるのは社会的意義が大きいと思っているからです。

卒業生のほとんどがここ数年は進学するようになってきています。一旦はつまずいてしまった子どもたちが、ウチでの学校生活を経て才能を伸ばしていってくれていることは本当に嬉しいですね。

子どもの数が減少してく反面、進学率は上昇していくと思いますし、子どもたちの多様な個性に合わせた高等学校や専門学校の存在意義は大きいと感じています。

先代がそうだったように、現在の事業だけに縛られるのではなく、時代の変化に合わせて柔軟に対応していかなければなりません。30年以上の実績と安定した事業基盤がある一方で、組織が硬直化してきてしまっている部分も課題として感じているので、常にパラダイムシフトの意識を持ち続けていきたいと思っています。


(宇都宮ビジネス電子専門学校 校舎外観)




<インタビュー情報>
宇都宮ビジネス電子専門学校
理事長 大久保 知裕
学校ホームページ https://www.ubdc.ac.jp/business/
宇都宮ケーブルテレビ株式会社 http://www.ucatv.ne.jp/catv/

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