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ナンバーワンではなくオンリーワンの高齢者支援メディアへ

株式会社ワークスアンドパートナー
代表取締役 山尾 信元

 創業から現在に至るまでの変遷について教えてください。

日本航空に勤めていた父が38歳の時に退職し、社会的に役に立つ事業を展開していきたいと考えて事業を始めたのがワークスアンドパートナーのルーツになります。父は不動産管理の会社をはじめ幾つか会社を経営するようになりました。その中で1996年に設立した港区エフエムコミュニティ放送という会社が、現在のワークスアンドパートナーの前身となる会社です。

父は元々放送やメディア事業に関心があり、その事業展開のために設立した会社になります。

2010年に父が亡くなったことから、私が代表を引き継ぎ、ワークスアンドパートナーに社名変更。現在の事業内容はメディア運営で、定年後の生活情報を扱うポータルサイトや高齢者の婚活パーティの情報検索サイトなどを運営しています。

父は学生時代に雑誌のぴあを立ち上げたメンバーの一人であり、その成功体験から社会における隙間産業の必要性については昔から言い続けていました。私が引き継いだ後のメディア運営事業においても高齢者の婚活といった比較的ニッチな市場がターゲットです。

それに加えて、私は「地の塩、世の光」という聖書の言葉を大切にしていて、資本主義社会の中であまり光が当たらない弱い立場の方にも光を当てていきたいと考えてメディア運営を行っています。



ワークスアンドパートナーではどのような経営理念をお持ちですか?

株式会社として運営しているため利益の追求はもちろん必要ですが、利益と併せて公益を追求することを大切な価値観として持っています。この理念の部分は創業者の父と共通している想いです。

私は、初代・内閣法制局長官の山尾庸三という明治維新の時に活躍した長州藩士の玄孫に当たります。山尾庸三は、友人の伊藤博文らと一緒にイギリスに留学した際に、イギリスにおける障がい者教育を目の当たりにし、帰国後、日本の障がい者教育の礎を作った人物です。筑波にある日本で唯一の国立盲学校も、山尾庸三が設立に携わっています。

障がい者に焦点を当てた教育は、当時の明治政府では誰も思いつかなかったことだったと思います。そういった先祖の末裔に生まれた身として子どもの頃から教育を受けているため、自然と公益性の精神は大切にしていかなければならないと考えるようになりました。

先代の父から会社の事業に関して具体的に指示されたことはありませんでしたが、気がついたら社会的に弱い立場の方を支援したいと思うようになっていたことは事実です。山尾庸三がやろうとしていたことのDNAが、私の中にも引き継がれているような気がしています。



幼少期や学生時代はどのように過ごされていましたか?

幼少期には父が勤めていた日本航空の話をよく聞かされていました。当時は羽田空港が国内線で成田空港が国際線と決められていたのですが、そのことに疑問を感じた父は当時の運輸省と交渉し、成田から国内線を飛ばすことを実現したと聞かされたこともありましたね。

ガチガチに規制で固められていた時代だったため、そこに風穴を開けるのは容易なことではなかったと思います。そこで出来ないと言われて引っ込むのではなく、出来ないことをやるのが仕事だと父は言っていました。幼心に父の言葉には深い感銘を受けたことを覚えています。

高校から大学にかけては、ある政党の党員として永田町で活動していました。青年局の幹事長を1年ほど務めさせてもらったこともあります。当時は三党連立政権で私が入っていた党は少数ながら連立与党の一つだったので、政策決定を目の当たりにしたり、インターンを経験させていただいたり、キャラバンを企画したりするなど、貴重な経験させていただきました。

政治の世界特に与党は国家・国民のために言ったことを実現させなければ始まりません。100点には届かなくても20点でも30点でも公言した政策を実現しなければならない。小党だからという言い訳は許されません。

100答を出すのは難しい中で、何点であってもセカンドベストな回答を迫られることが必ずあります。そのためにどうしなければならないかを学ばせていただいたように思います。



山尾社長はどのような経緯でお父様の会社に入社されましたか?

父はいくつもの会社を経営していましたが、私自身がいつ、後継になるかとはあまり考えていないというと語弊がありますが、それを当てにするつもりは全くありませんでした。逆に後継者として指名されなかった場合に、どうやって生活をしていくかということを主眼に考えていたように思います。

具体的に意識するようになったのは、父が亡くなる前年にこの会社を継いでほしいと言われてからです。そこで初めてハッキリと後継者として自覚するようになったんです。2010年に父が亡くなったことを契機に事業を継ぐため入社することになりました。

父が亡くなってからの緊急登板だったので、弱体化していた財務基盤の立て直しや不採算部門の整理、事業の入れ替えをしなければいけないといった課題も多くありました。傍らで見ていて概ね予想はしていたので特段驚きはありませんでしたが、事業の整理や再編に伴って人員の整理などにも向き合わなければなりませんでしたね。

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二代目として変えるべきところと変えてはいけないと思われるところはありますか?

私が代表に就任してから、社名をワークスアンドパートナーに変更し、事業内容もインターネット上のメディア運営にシフトしていきました。

まず初めに、高齢者の婚活というニッチな産業に着目して、シニア層の婚活パーティの情報検索サイトである「パーティスケジュール」を開始しました。ただ、それだけではスピード感が劣ると考え、M&Aという手法を使って「定年生活」など、複数のメディアを上場企業から事業譲渡を受ける形でスタートしました。

現在では、「定年生活」、「パーティスケジュール」の他、会場や参加レポートなどから検索できる婚活・お見合いパーティの情報サイト「パーティスタイル」を中心に高齢者向けや婚活情報サイトの運営をしています。

ただ、社名や事業内容は変えたとしても、価値観や企業理念は変えてはいけないところだと思っています。変えてはいけない価値観とは、父が言い続けてきた社会から必要とされる隙間産業を行っていくことや、利益ではなく公益を追求する根本的な考え方の部分です。

よく周りの方からは「山尾は言うことが全然変わらない」と言われます。どれだけ厳しくとも、自分が掲げた志は変えてはいけないと思っているからです。

今後、人を増やしていきたいという思いもありますが、事業の質を大事にしていきたいと考えているため、質や理念に共鳴してくださる方がいらっしゃれば一緒にやりたいですね。