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お客様が抱えているリスクを正確にとらえて、適切な商品を提案する

株式会社インシュアランス・トータル・サービス
代表取締役 市川祐史

会社概要について教えてください。

西新宿に会社を構える保険代理店ですね。代理店創設以来、お客様の立場にたった最適な保険をご提案することをモットーとしております。損保ジャパン日本興亜社の専属代理店として損害保険がメインですが、生命保険、自動車保険の購入・財務相談・相続に関する相談等のご相談も承っています。1978年に父親がサラリーマンを辞めて、代理店の卵として独立したのがスタートです。学生運動や前職の会社で人事総務の立場で人脈を築いていたので、それを活かしてビジネスをできないかというところで独立した会社です。現在は、父親が代表取締役会長で、私が社長という立場です。

入社されるまでの社長ご自身の経歴について、教えてください。

社会に出たあと2年間ぐらいは途上国支援の業界でフリーターをしていました。学生時代の興味の延長線上です。途上国支援の業界は狭いので、海外で修士とかドクターを取っていないと、採用されないんです。将来的にはそこまでになりたいと思って、JICAやジェービックといった外務省から途上国支援のプロジェクトを請け負う会社で、コンサルタントのアシスタントとして2年間くらい働いていました。ただ、途上国支援のプロジェクトに関わってみて分かったことは、どうしても官僚仕事になってしまうということですね。お役所仕事なので、スピード感が無かったりと疑問点が出てきたんです。また、途上国支援の国家予算が減っている状況でしたので、それだったら他のビジネスを通じて途上国支援をしている方たちと一緒に働く方が、私のやりたい国際協力みたいなことができるのではと思うようになりました。そこで、就活をして採用してくれたのが、ソフトブレーンというIT関連のベンチャー企業でした。ここでは、SIer企業に対して、その先にいるお客様に自社のソフトウェアを売ってもらうためのパートナー営業をしていました。

この会社には2年ほどいました。2007年ですね。そのタイミングで、父親に会社に入ってほしいと頼まれて、入社しました。入社してからは、2代目経営者になりそうな人を、1年間保険会社で丁稚奉公させるという仕組みの後継者養成コースがあり、2007年から1年間は損保ジャパン日本興亜という会社で、父親が創業時そうだったように、研修生という立場で仕事をしていました。実際に会社で仕事をするようになったのは、2008年ですね。その後、2011年に代表者になりました。父親との共同代表ですけどね。2011年11月11日のポッキーの年のポッキーの日なんです(笑)。

元々、「継ぐ」というお気持ちはありましたか?

私自身3兄弟の次男ということで、兄がいるということもあり、継ぐという気持ちはありませんでした。実際に、兄が一時期継いでいました。上手くいかなくて辞めましたけどね。兄は、バイクが大好きな人間で元々バイクの仕事に就いていましたので、スーツの仕事が合わなかったのかもしれません。現在は、再びバイクの仕事に戻り、活躍しています。それで、長男がだめなら次男ということで、声を掛けられたんです。色々と悩むことはありましたが、継ぐことを決断しました。

継ぐことを決められた経緯について、教えてください。

父は仕事人間でしたので、父のことを嫌いという時期もあり、そこが完全には拭えていませんでした。今思えば、創業社長なので当然なんですけどね。それと、保険業界は景気がいい業界ではなく、市場自体も縮小していました。この世界に入っても、簡単にはいかないだろうなという思いもありました。そういった複合的な意味で、かなり悩みました。ただ、経営者になりたいという気持ちは強くあったんです。本当に悩みました・・・

実は、ITベンチャー企業を辞めて、この会社に入る前に、2か月ほど無職期間があったんです。その時に1人旅をしました。考える時間がたくさんありました。嫌だった父の仕事や、嫌だった父の姿というのは、その熟慮する期間中に克服できたんです。その大きなきっかけは、奈良を旅している時にありました。とある明王と呼ばれる仏像を見ていたんです。怖い顔をしているのですが、そこに注釈が書いてあり、「この顔は愛の表情なんです」ということでした。火事場に子どもを救いに行く時の父親の顔だと書いてあったんですね。火事場の中に、子どもが取り残されてしまった。当然、父親は、突っ込みますよね。その時に、親父がどういう表情をしているかというと、おそらく笑ってはないでしょうし、泣いてもいないですよね。やるぞと決めて決意している表情だと思うんです。その表情を見て、「ああ親父、子どもの頃、嫌いだと思っていたけど、それは会社を成り立たせるためだろうし、家族に飯を食わすために、俺が嫌だと思っていたこともしていたんだな」と腑に落ちたんですよ。父親の心情が理解できたような気がして、継ぐことに後ろ向きじゃなくなったんです。「私が無事に大人になるまで育つことができたのは、父親のおかげであるし、保険業界のおかげでもあるわけだ。その父がお願いしてきているのであれば、恩返しの意味もふくめて行こう」と思うことができたんです。

会社に入ってからは、駆け出しの営業として仕事をすることもそうですけど、父親の持っている大きな取引先を担当するようになりました。入社してから、思ったことは、父は本当に優れた営業マンだということですね。指摘されたり怒られたりしながら、「保険営業パーソンのいろは」を教えていただきました。お互いの関係としても、あるときは上司と部下、あるときは親と子というような切り替えをスムーズに行えていました。

また、社内における社員の管理は基本的には当時からすべて私が担当しています。社会保険料の計算、給与計算、支払いといった財務経理も私がやっています。本当であれば、任せる人材を雇いたいんですけど、雇えていないですね。ここは課題かなと思います。それと、小規模から中規模のお客様については私が担当するのではなく、他のメンバーもしくは会社全体で担当するという形に移行していかないと、会社の発展という観点からは難しいなという点も課題と感じています。

入社後の課題のお話が出ましたが、他に課題はありましたか?また、乗り越えたものもあれば教えてください。

父が30年間ほど1人でやってきたので、コスト管理はタイトロープの時期もあったと思うんです。そこは父の直観というか、感覚で何とか生き延びてきたんですよね。でも、それでは会社のメンバーは怖くてしょうがないですよね。そういうコスト管理やシステム化対応などが大きな課題でした。一つ一つクリアしていくような状況でしたね。

それまで支出していた経費について削減できる部分はないかという観点を常に持ち仕事をしていました。そうすると、「これは、変えた方がいいのでは?」と気付くことがあるんです。例えば、営業車に関することです。月極めでアイランドタワーに駐車場を借りていました。アイランドタワーの月極めの駐車料金は47,500円ほどするんです。それにプラスしてガス代、保険代、車検代、もちろん車両本体の金額、税金が掛かってくるので、法人車を数台キープしておくと費用対効果が悪いと思ったのです。そこで、カーシェアを活用することにしました。コストは3分の1~4分の1ぐらいになりましたね。

また、入社した時には、社会保険もまだ入っていませんでしたから、社会保険の導入もしました。結構大変でしたね(笑)。


保険業界の変遷について教えてください。また、その変遷を踏まえた上で、自社をどう変えていったのかということもお聞かせください。

いわゆる金融ビッグバンが1990年代に起きましたけど、それまではどこの会社でも商品の料金が同じだったんですよ。A社、B社、C社と当時からいっぱいありましたけど、自動車保険に入るという時には、全社同じ料金だったんです。お客様が保険会社や保険代理店を何で選ぶかというと、人で選んでいたんです。それに対して今は、各社とも料金が違いますし、保障内容も全然違います。より高度なフィナンシャルプランニングやリスクマネジメントという点について理解をしていただかなければ、お客様に本当に喜んでいただくことはできない状況です。そういう意味で言いますと、1990年と2018年で、やらなければいけないことという観点では、変わらない部分もありますけど、変えなければいけないこと、やるべきことが間違いなく増えていますね。

そのため、弊社も変わるために明確に舵を切ろうという段階です。弊社には法人と個人のお客様がいらっしゃいます。中でも法人部門に強みを持っています。

今後を考えると、そういった弊社の得意な、つまり法人に特化していくことが、専属代理店として生き残っていく術なんだろうなと思っています。それこそ80年代、90年代から保険に入り続けているお客様については、自動車保険や火災保険でも、価格だけを比較することなく、信頼から「安心しているから任せるよ」と言っていただけます。しかし、若いお客様に対しては、他との比較に耐えられないといけません。その中で、中堅、中小企業のリスクマネージャーとして、総務部保険課みたいな形で弊社の人間が入り込んで、その中小企業、ベンチャー企業、中堅企業のリスクマネジメントをするというのは、いまだに専属代理店の味が出しやすいんですよ。お客様の満足度も高まりやすいんです。実際に専属でないとした場合には、他社の商品もあるけれど、中小、中堅企業の総務とか人事の保険担当の人も忙しいので、そんな上場企業みたいに毎回毎回入札して、比較検討なんてできないですよね。それならば、信頼感のある貴社に任せ続けるという世界が作れるようになります。そういった能力をうちのメンバー全員で培っていくことで、専属代理店が生き残っていけるかなと思っています。

法人相手の営業が得意とのことですが、他社との違いはどこにあると思いますか?

お客様が抱えているリスクを正確にとらえて、そこに対して適切な商品を提案するということについては、歴史もあるしノウハウも蓄積されているという点だと思います。適切というのは保障内容もそうですし、保険料も馬鹿高くないという、まさに適切な商品を提案保険営業マンができているというところです。

適切な商品提案をするために週1で全社員プラス保険会社の方が集まるミーティングを有効活用しています。予算の管理、商品研修、コンプラ研修などを行っています。肩ひじを張らない週1回の全体ミーティングなんですけど、情報共有もできますし、重要な場です。このミーティングの質をもっともっと上げていきたいですね。

最後に、今後の会社の展望について、教えてください。

環境変化の激しい時代で、今までの強みを活かしながら、そこに安住せずに新たなチャレンジをしていきます。父が損保ジャパン日本興亜社の専属代理店会の会長を務めていたんです。そういう意味では父親が代表でもあるので、この専属代理店の良さは活かしていきたいですね。ただ、この業界がどういう状況にあって、今後どういうふうに進んで行くのかということは重要なことだと考えています。2人代表だからこそ、いわゆる代表として、看板としての仕事は父に任せて、新しい情報を私が取りに行くというようなことはしています。他の日本全国のすばらしい代理店さんや、アメリカですとか他の国のすばらしい代理店さん、もしくはマーケット、市場ですね、どう動くのかといった予測等については、様々な業界団体に首を突っ込んで勉強しています。

 また、JALを再生させた京セラの稲盛さんが「経常利益率を10%出せない経営者は経営者ではない」みたいなことを盛和塾で言っていると、聞いたことがあります。「それは確かにそうだよね」と思うんです。様々な経営者がいますし、志も皆様多用です。ただ、仮にプロの経営者を名乗るのであれば、やはり経常10%は確保したいですよね。それと、しっかりと納税する企業でいるということも経営の目標にしています。経営者の中には、できるだけ黒字を減らして納税したくない、1銭もしたくないという方もいますけど、それはちょっと違うんだろうなと思っています。きちんと納税をした上で、経常利益率10%を狙いましょうという方向になりますね。


さらに、売上の規模は2020年までに1.5倍を目指しています。私自身が稼ぎだす数字は当然1.5倍以上にするわけですけども、弊社全体で1.5倍にできるかというと、かなり頑張らなければと考えています。今、損保のマーケットというのは明確にシュリンクしてるんです。もちろん新しい領域とか新しい商品というのは出てるんですけど、その傾向は変わりません。そういう意味で、損保の市場規模よりも生保の市場規模の方が全然大きいんです。4倍か5倍はあります。今、弊社では損保と生保の売り上げの比率が、損保が大きいですが、生保の分野もまだまだ開拓できます。そこが早く叶えば、先ほど言った2020年の目標を達成するのは早いと思います。今後どうやって生保の売上を上げていくのか、比率を上げていくのかということに注力していかなければと強く思っています。そのために、具体的に必要なことは、組織としてのフォーメーション、体制作りですね。現状、営業マン1人当たりの売上高というのは高い方なんですよ。それに対して事務部門の人間が少ないんです。各営業マンがエンジンふかしまくってるんですね。事務もやるし、営業もやるしという感じです。それって結局、息があがっちゃうんです。天井が決まっちゃいますからね。ですから、企業として、組織として、どうすれば余裕を持った準備・仕事ができるのか、ここを経営者としてやっていきたいですね。必ずや強くていい組織にしていきたいと思っています。


 

<インタビュー情報>
株式会社インシュアランス・トータル・サービス
代表取締役 市川 祐史
会社ホームページ http://www.sjnk-ag.com/a/its/

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