結果にコミットする幼稚園のヒミツは、職員みんなが"働く"を楽しめる風土づくり。


城山幼稚園・城山みどり幼稚園
園長 石川 明彦



はじめに、城山幼稚園・城山みどり幼稚園について教えてください。

はい。城山幼稚園・城山みどり幼稚園は、東京都板橋区にある幼稚園です。教育目標は、「自ら学び、自ら考え、自ら行動する力」を育むです。15年後、子どもたちが社会に巣立つ時、しっかりと自立していけるよう、その基礎を育む教育を行なっています。

こう言うと、「どこの幼稚園でも同じようなことを言っているのでは?」と思われるかもしれません。でも、違います。例えば、ウチの園児は全員、逆立ち歩きができます。また、そう言うと、「スパルタなんですね。」や「運動能力が高い子だけを集めているんですか?」と言われることが多いのですが、実際は違います。むしろ、社会性が十分に育まれていない幼児に、スパルタは逆効果です。

やっていることは非常にシンプルで、「自ら学び、自ら考え、自ら行動する力」を育むことに集中しています。それができれば、必ずどの子もできるようになります。逆立ち歩きは、あくまで一例にすぎません。製作、読み、書き、音楽。どの分野においても、時間がかかる子はいても、できない子はいません。

子どもたちは楽しいと感じたら、自分の意思で勝手に練習し始めます。すると、自然とできることが増えます。できることが増えると、子どもは人に見せて褒められようとします。そして、人に褒められると、さらにレベルの高いことに、自らの意思で挑戦し始めます。そうやって、少しずつ自信と成功体験を積み上げ、卒園を迎える頃には、驚くほどの成長を見せてくれます。

今は、幼児ですから大人と比べると生活範囲や、少ない経験値の中で生きています。しかし、将来、自分が本当に好きなことに出会った時、「自ら学び、自ら考え、自ら行動する力」によって才能を伸ばし、それを人の役に立てる人間へと成長してほしいと、僕たちは願っています。



石川園長のお家は、ちょっと変わっているとお聞きしたのですが…

そうですね。実は、僕は平安末期から978年続く城山熊野神社の宮司なんです。よく神社の隣にある幼稚園ってありますよね。まさに、それです。

しかし、978年つづくって、すごいですよね。ただ制度に守られているだけでは、約1,000年存在し続けることって難しいと思うんです。きっと、そこにはつづくだけの理由があるんだと思います。奉職している城山熊野神社は、「郷社(ごうしゃ)」といって、地域では一番大きなお社で、正月三ヶ日には、約3万人の方が参拝にいらっしゃいます。参拝をされる方は、いずれの方も、志を新たにして、すっきりとした気持ちでお帰りになります。従って、いつの時代も神社には「心を整える」という役割があって、それはこれからも変わらないと考えています。ちなみに、幼稚園も、子どもの「心を整える」ためにやっていますので、神社に与えられた役割からは、ブレていないと思っています。

今でこそ、少しずつ認めていただける園になってきましたが、最初からそうだったわけではありません。僕が入った頃は、お世辞にも褒められた幼稚園ではありませんでした。初めて職員室に入った時の、どんよりとした空気は今でも忘れられません。悲しかったですね。創立者である曾祖父の幼稚園設立の話を聞いて、グッと来ていただけに、残念な気持ちになりました。


ひいおじいさまが幼稚園を設立したお話を、うかがってもよろしいですか?

大丈夫です。ちょっと長くなりますよ(笑)。

昭和20年、戦地から戻ってきた曾祖父・石川文吉は、焼け野原を見て、1本の苗木のことを考えていたそうです。戦前の話ですが、小学校を卒業する際、子ども達は小学校から苗木を1本もらう慣習があったそうです。「これを自分の家の庭に植えなさい」と。植えた苗木は成長し、その土地に根付いていく。そんな人間の生き方としての教えだったのかもしれませんね。ところが養子として石川家に来た曾祖父は、苗木を貰えなかったそうです。「お前は元々、この土地の人間じゃないから。」、そんな理由だったとか。曾祖父の中では、そのことがずっと引っかかっていたようです。土地を持っていないという劣等感だったのでしょうか。しかし、焼け野原を見ていて、ばかばかしく思えたそうです。全部燃えてしまった。苗木のことなど、どうでもいい。新しい時代がはじまるのだと。

戦前は、田畑を持っていることがステータスでした。しかし、時代が流れ第二次産業が発展し、もう田畑に縛られることはない。そんな時代にどう社会に役立っていくか考えたとき、曾祖父は「教育」に注目しました。物質的に豊かになってきているけど、精神的に貧しさを帯び始めている社会に、疑問を感じたことが理由のようです。そこで、鎮守の森に生えていた木を製材し、その材木で城山幼稚園を立ち上げたそうです。最初の園児は56人。当時の写真を見ると下駄と着物着た子どもばかりですよ。

曾祖父は、新しく生まれ変わろうとしている町の中で、自分が担うべき"役割"を考え、「教育」という選択をしました。農耕社会だった頃、稲作りは地域社会にとって一番の関心事でした。子ども達も、稲づくりを通して、人との関わりや、助け合いを学んだそうです。まさに、「稲づくりが人づくり。」だったそうです。そして、神社は、稲づくりをする際の決め事をするための「場」という"役割"がありました。

しかし、戦後、町からは田畑が消え始めていました。その中で、神社としての"役割"を考えたときに「人を作ることで、町の再生に貢献していこう」と考えたそうです。これが創立の精神だと思うのですが、後に僕はこれを見習い、経営理念として「心づくり、人づくり、街づくり」を掲げました。

この創立の話、いい話だと思いませんか。ところが年月が経つにつれて、城山幼稚園は創立の精神を忘れ、先ほどのような状態に陥ってしまいました。



それでは、入園の経緯と入ってからの話を聞かせてください。

大学を卒業した後、大手商社に就職しました。もともと幼稚園を継ぐ気はあったのですが、社会経験がないまま「先生」と呼ばれることに抵抗がありまして。社会人として働いてから、幼稚園経営に関わりたいと考えていたんです。しかし、3年半くらい働いた頃、祖父が脳内出血で倒れてしまって。それで急遽、入園することになりました。

幼稚園の雰囲気は良くなかったですね。イキイキと働いている人間が1人もいませんでした。すると、職場の粗ばかりに目が行って、未熟だった僕は、注意ばかりしてしまったんですよ。そうしたら、当時10人いた社員のうち9人が辞めてしまうという事態に。慌てて、求人票を持って大学を廻りました。すると、行く大学、行く大学で、「なんで皆さん辞められたんですか?」と訊かれるわけです。「こっちが聞きたい。」という思いもありました。自分は曾祖父の意志を継いで、地域から求められる幼稚園を経営したいだけなのに。なぜ、人は思うように動いてくれないのか。当時の自分は、上手くいかない理由を他人に向けているだけでした。

そんな時、ある大学のキャリアセンターの先生に言われたひと言が衝撃でした。「幼稚園の問題点はわかりました。では、石川先生は具体的に、どんな幼稚園をつくりたいんですか?」。この質問に、答えられなかったんですよ。悪いところは見つけられる。でも、どうしたいというビジョンがない。これでは誰もついてくるわけがない。猛省しました。幼稚園を変える前に、自分が変わらなければならなかったんです。

最初にやったことは、自分の表情を変えることでした。当時、知り合いの経営者から、「人は何を言うかではなく、誰が言うかで動く。」という言葉を教わったからです。自身の経験を振り返っても、本当にそうだと感じました。仮に仕事を楽しめていなかったとしても、楽しそうに振る舞うことを決めました。カタチから入ったともいえます。しかし、そんな事でもつづけていると、賛同してくれるフォロワーは必ず出てきてくれるものです。山積みだった課題の一つひとつを、仲間と一緒に解決していきました。そして、それがある一定の波に乗ると、自分でも驚くほど急加速度的に職場が変わり始めました。


取り組んだことの中で、1つ具体的な例を教えていただけますか?

「プロジェクト制度」という取り組みがあります。これは、全員が幼稚園の経営に何かしら関わっていくというものです。幼稚園経営には4つの柱があるんです。1つ目が「カリキュラム作成」、2つ目が「採用・育成」、3つ目が「園児募集」、4つ目が「園風管理」。うちの職員は全員が、この4つのプロジェクトのうちのいずれかに所属することになっています。

例えば、採用にかかるコスト。これもブラックボックスにするのではなく、プロジェクトメンバーが全員で考えるオープンなものにしています。予算を下回った分で、新しい教材を購入したり、メンバーの賞与に充てたりします。だから、1人ひとりが小さな経営者という感覚ですね。全員参加型経営です。各担当者が予算を持って、自由に動けますので、各々の想いを実現することができます。すると、退職者が急激に減り始め、昨年は板橋区が最も働きやすい企業に与える、ワークライフバランス大賞企業に選んでもらうことができました。かつて、退職率9割だった職場が、ワークライフバランス企業賞を獲るのですから笑ってしまいますよね(笑)。

また、小さな経営のサイクルが回っているので、組織としても非常に強くなりました。無責任に言いたいこと言うのではなく、1人ひとりが考慮して判断できる文化がこの取り組みで育ちました。もちろん、時間はかかりましたし、いまだに百点満点ではありません。でも、他園とはひと味違う保育ができている。いい評判が増えて、職員も園児も集まっている。みんな、レベルの高いことを任せているのに笑顔で仕事を楽しんでいる。そんな幼稚園に生まれ変われたことは、本当に良かったと思っています。

実は、以前辞めた職員が、今の噂を聞いて、今年(2019年)復職してくれました。しかも、息子さんをうちに預けてくれています。自分の大切なお子さんを預けたいと思ってもらえるほど評価していただけるなんて、本当に嬉しいです。



​​​​​​​(8年前、チームとして一体感を持つために導入した朝礼には、年間150社の企業が見学に来る。)


幼稚園経営の3代目として、変えるべきもの、逆に変えないものはありますか?

ちょっと質問の答えとは違うかもしれませんが、「創立の精神(創立時の物語)」は大切にしなければいけないと思っています。

まず、創立の精神があって、その上に経営理念があると思うんですね。ただ、明文化された理念って、読み手の解釈に委ねられてしまう面もあるじゃないですか。同じ言葉でも、気分や環境で、意味や重みが変わってきてしまいます。だから、理念を正しく解釈するためには、創立の精神が伝える世界観を正しく把握することが大切なんじゃないかと思うんです。さきほど、創立者・石川文吉の話をさせていただきました。あのエピソードを聴く前と、後では、「心づくり、人づくり、街づくり」という言葉の深さが違いますよね。


最後になりますが、今後の展望について教えてください。

幼稚園の話から少しずれてしまうのですが、僕が還暦の年に、神社はちょうど建立1,000年を迎えます。となると、1,000年の節目を迎える代の者としては、次の1,000年、少なくとも次の100年に向けて、どのようにして社会から必要とされる存在になっていくのかという大きなテーマを考えなければなりません。

神社は、参拝客の方々の心を整える場所であると同時に、地域の人たちの縁をつなげる場所でもあると思います。実は、うちに来てくれた女性職員の一人が、昔から神社とお付き合いがある塗料メーカーの部長さんの娘さんなんですよ。当時、一斉に職員が辞めて大変な時に応募してくれた仲間なので、本当に救われました。大事な娘さんの就職先に、職員が一斉に辞めた幼稚園を紹介してくださった訳ですから、本当にありがたいですよね。

きっと、普段は気づけていないだけで、こういう縁がたくさんあるんです。その一つひとつに感謝ですよね。月並みな話になってしまいますが、これからも軸足をブラさないながらも、期待されていくことに一つずつ誠心誠意こたえていくことを、大切にしていきたいと思います。


(2019年1月5日に城山グループが開園した鎮守の森城山どんぐり保育園)


(ライトアップ後の風景)



<インタビュー情報>

城山幼稚園・城山みどり幼稚園
園長 石川 明彦
城山グループホームページ http://shiroyamagroup.jp/

この記事を読まれた方が他に読んでいる記事