80年続く車椅子づくりを活かして、介護ビジネスの新しい可能性をつくる


株式会社ケイアイ
代表取締役  北島 伸高



株式会社ケイアイの事業内容について教えてください。

車椅子の製造販売です。あと福祉用具のレンタルですね。ウチは車椅子事業で80年以上のキャリアがあります。長年培ってきたノウハウを活かして、お客様の生活環境に適した"お客様のための1台"を作っています。製造だけでなく、他社では難しい改修、部品製作にも柔軟に対応していますね。

ケイアイのルーツは、1936年に医療機器メーカーとして創立された北島商会です。この北島商会が軍人療養所に納入した車椅子が、後に『箱根式車いす』と呼ばれる日本で最初の車椅子だと言われています。当時、戦争で脊髄損傷をした人たちを入院させていたのが箱根病院というところ。最初は外国製の車椅子を使っていたらしいのですが、サイズが大きすぎた。それで日本人の体型に合わせて作ったという経緯があり、箱根で導入されたため『箱根式車いす』という名称になったそうです。北島商会を創業した北島藤次郎は私の祖父になります。その後、日本の車椅子の普及とともに当社は発展し、社名をケイアイに変えて、今日に至るという感じですね。



北島社長の学生時代や前職について教えてください。

もともと高校卒業して専門学校に行ったんです。都内のホテルマンになれる学校でした。場所が飯田橋だったので新宿も通るし遊べそうじゃないですか(笑)。仲のいい友人が行くから俺も行くといったノリで、ただなんとなく行ったんですね。

私が専門学校2年生の時、就職氷河期になっちゃったんですよ。ちゃらんぽらんな理由で通っている人間が就職できる状況ではなくなってしまいました。結局、ホテルの道には進まず、地元八王子にある冷凍食品を卸す会社に就職。仕事は2トントラックの運転手です。食品スーパーに冷凍食品を運んで搬入する仕事でした。いわゆるルートセールスってやつですね。でも、気分は運送屋なわけですよ。セールスなんかできるわけがない。ただ言われたものを陳列して帰ってくる。そうするとだんだん大きなトラックがカッコイイなと思うようになってきました。それで、大型免許を取りに行ったら受かっちゃったので、本格的なトラック運転手に転職しました。日本全国をまわりましたね。給与は多い時でひと月80万円くらいもらっていました。

長距離だと1回家を出たら1週間ぐらい帰れない。つまり、稼ぎはいいけど遊べないんですよ。お金は貯まる一方です。給料が良かったから全然辞める気はありませんでした。でも生活は不規則でしたね。それを見かねた母から「いつ辞めるの?」「いつまでそんなことやっているの?何を考えているの?」と小言を言われるようになって。私は3人兄弟の長男なんですよ。今考えれば、家業を継ぐって少しは考えてもいいと思うのですが、当時はそんな発想はありませんでしたね。でも母親がうるさかったので、「25歳になったらケイアイに入る」と約束をして、その通り、25歳になる直前に入社を果たしました。



ケイアイに入社されて、実際のところいかがでしたか?

入社したのは、2000年1月21日です。この年の4月に「介護保険法」が施行されました。これによって何が起きたかというと、これまで当時の顧客の大部分を占めていた国の制度で支給対象だった高齢者の方が、この法律が始まったらこれまでの支給対象者からレンタル対象の顧客になるということだったんです。当然、制作の駆け込み需要が発生しますよね。だから、私が入社した当初は信じられないくらい忙しかったんです。受付を3月くらいまで行なっていて、その納入に5月・6月・7月まで追われました。そして8月になったら、急にヒマになっちゃったんですよ。生産数が4割減でしたね。

今にして思えば、新しい法律が施行されるなんてニュースで大々的にやっていたと思うし、それによって何が起きるかも予想できたと思うんですけど。ウチの製造現場の人間たちは何も分かっていなかったんですね。だから、「どうする、仕事がなくなるぞ」って、周りの人たちがどんどん辞めていくんですよ。駆け込み需要が終わった後、生産数は減っていても人が少なくなっているから、ひたすら忙しかったです。

私はと言えば、入社したからといって社長の仕事をやらせてもらっていたわけでもなく、ヒラの営業として、従業員と同じことをやっていました。そして、2003年に先代の社長である父が大腸ガンによって、発覚から2ヵ月で亡くなくなってしまったんです。早すぎる死でした。そしてその翌月から私が会社を引き継ぐことに。それで初めて損益計算書を見ました。すごく忙しいから誰もが儲かっていると思っていたんですよ。そしたらその年の決算、営業赤字7400万円。これが実態だったんです。震えました。



衝撃の事業継承ですね。そこから苦難の日々が始まるわけですね。

売上1億2000万円でも、売上と同額くらい経費を使っている恐ろしい会社だったんですよ。親父は典型的なワンマン社長で、会社の数字とか一切公開しない。さらに無口で何考えているかよく分かんないような社長だったですね。で、いざ蓋開けてみると4年連続の大赤字。「これはやばい」ということで急遽工場を閉鎖することにしました。10月4日に社長になって、11月30日に工場閉鎖を決定。そしてリストラを断行。入社当時は3,40名いた社員は8名まで減りました。会社の引越費用も捻出できない状態で、前の会社の社長に頼んでトラックを1台無料で貸してもらい、100往復くらいして引越ししました。

悲惨じゃないですか。私はイヤイヤ入ってこの仕打ちですからね。ケイアイに入った時の最初の給料は17万円でした。少し前に結婚していて、奥さんと給与明細見てお互い30分くらい無言でしたよ(笑)。ただもう、ふざけんなって。当時、工場引っ越す時に、古い車椅子だったり、当時の写真だったり資料がわんさか出てきたんですよ。でも、私からすれば、そんなもの過去の栄光でしかなかったんですよね。ほとんど捨ててしまいました。今考えるとバカなことをしでかしたものです。

気分も経営状況も最悪でしたが、それでも会社はあるし、従業員もいるから、仕事は続けなければなりません。とにかくドケチ経営を続けました。要は出るものを少なく、入るものを多く、ボーナスも一応出したけど、そんなのは二の次という意識でした。赤字が続きましたが4年目からようやく黒字化に成功したんですね。「おおーっ」となるじゃないですか。そうしたら右腕をやってくれていた社員が言うんです。「社長、これからどうするんですか?」って。

自分を含めてみんなで馬車馬のように働き続けてきました。黒字化を目指してひたすらですよ。そして黒字になった。じゃあ、来年からどうするのか。またドケチ経営では人は付いてこないですよね。でも私はドケチ経営しかやってこなかったので、それしか知らないんですよ。結果を出すことをずっと続けていくためにどうしたらいいのかって、初めて考えました。この先こういう方向に行くぞというものがないから、行き当たりばったりになってしまう。ビジョンや理念が必要だと思ったんです。



御社のビジョンや理念は、どのようにして生まれたのですか?

ビジョンや理念を考えるために、まずは本屋に行って創業者の方が書いた経営の本を読んで勉強しました。どんな本にも「自社のことを好きになる」「自社の商品を好きになる」といったことが書いてありましたね。でも無理なんですよ。自分みたいないきさつで会社に入った人間には好きになれるわけがないんです。創業者は製品が好きで始めているから片時も離さないとか、寝る間も惜しんでとか、そういう姿勢があって、カリスマ性の後光がさすのだと思います。しかし、後継者に同じことは無理なんだと、私は悟りました。そう思ったら気が楽になったんです。

創業者を目指さなくていい。社長が車椅子の製作のプロである必要はないんです。実際に私は溶接や縫製ができません。経営者の仕事は、「資源を活かし、優秀なスタッフの力を借りて、適材適所で会社を維持発展させること」。後継者の使命は、「長年に渡って蓄積された会社の資源を、どのように活かし、維持発展させるか」。こういう結論に至りました。うちはなぜだか知らないけど日本で初めて作ったという事実や技術という資源がある。それを捨てることはできない。だからそれを活かして、自分なりの色を付けてく。それでいいんだと思います。

同時に、難しいことは抜きにして、経営理念というのは「自分がこういう会社にしたい」ということでいいのかなとも学びました。そして、それなら頑張れると思ったんです。それで、私は「かかわり合うすべての人たちを明るく楽しくしよう」と思いました。車椅子っていうのはどちらかというとネガティブですよね。できれば乗りたくないものじゃないですか。でも、そのネガティブさをウチと関わることでお客さんにポジティブになってもらいたい。自社の社員に対しても、取引先の人たちに対しても、「ケイアイに来ると、なんかちょっと元気になるな」とか、「頑張んなきゃな」とか思ってもらえるとか、そういう組織にしたいという思いが強くなってきました。

事業方針として掲げているものの1つに、「新しい価値観・可能性を提供しましょう」というものがあります。国の制度では車椅子の耐用年数が6年に設定されていて、6年経過すると再制作の申請権利がもらえるんです。お客様は前回と同じでいいとおっしゃるかもしれない。でも6年経てば技術は向上しているし、トレンドだって変わっている。それを付加することで、これまで仕方がないと思っていた不便や諦めが1つでも減ったとしたら、これは価値だと思うんです。そういうことを大事に仕事をしていこうとみんなに伝えています。



今後の展望について教えてください。

やっぱりこの仕事をもっと広めていきたいですね。いい仕事なのに知名度が低すぎます。これから人材不足になってきますから、若い人たちにもっとこういう仕事があるっていうのは伝えていきたいです。

日本は超高齢化社会。なのでウチも知らぬ間に顧客が高齢者ばかりになっていたんですよ。もちろん、こだわりはあったと思うのですが、市場や国の制度に守られて楽な商売をしていた側面もあったと思います。だから介護保険法が施行された時、苦しむことになった。その経験を踏まえて、周辺環境が変わっても動じない「ケイアイならではの強さ」を作っていかなければと思っています。

注目しているのは「小児市場」ですね。小児市場は大変なんです。親御さんの要望度が高いですから。でも当たり前ですよね。子どもの未来がかかっているので、すごく勉強されているし、いいモノにはお金を使ってくださいます。ここは高い技術を必要としている市場なのです。だからビジネス上でも有益だと思います。それに、どうせやるんだったら明るい未来につながる仕事でやりがいを感じたいじゃないですか。子どもの数は減っていますが、実は障害児は今増えているんです。障害児の環境はまだまだ整備されていない部分も多いので、未来のある子どもたちの気持ちを上に向けてあげたい。この仕事にはそんな夢があると思うんです。

ビジョンや理念って、本当に大切です。そして社内環境整備と正当な報酬。今よりいい未来をつくるって、聞こえはいいですが大変なんです。いい仕事をすることって、大変なことでもある。大変な仕事をやってもらうのだから、ちゃんと評価されて然るべきと考え、社内評価制度や見える化を徹底しました。その結果、より良い社内環境の構築に繋がり、優秀な人材が集まってきています。

私たちの仕事って国の制度でお仕事をさせていただいている、いわゆる制度ビジネスっていうものなんですよ。そして制度ビジネスの中でも、特に私たちが行っている車椅子や座位保持装置などは利益が出にくいと言われてます。究極のビジョンなんですけど、このビジネスでキチンと利益が出る仕組みを作りたいと考えています。利益が出にくいことも人が定着しない要因なのかなと。今、働いてくれている人たちが辞めずに定年まできちんと働けるビジネスモデルを作っていきたい。なぜなら、素晴らしい仕事だから。誇れる仕事ですよ。いい仕事は評価されて報われるべきだと思っています。だからこれからもいろんな環境整備を進めながら努力をしていきます。





<インタビュー情報>

株式会社ケイアイ
代表取締役  北島 伸高
会社ホームページ http://www.order-ki.co.jp/

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