何かを得るために何かを捨てなくてもいい。働くことを楽しめる会社へ

東京西サトー製品販売株式会社
代表取締役  横川 みどり



東京西サトー製品販売は、何をされている会社なのか教えてください。

東京西サトー製品販売株式会社は、バーコードプリンタなどの自動認識システム業界で世界トップクラスのメーカーSATOの正規販売店としてサトー製品を取り扱っている会社です。

主な取引先は、さまざまな業界の小売店や物流センターですね。でも、ただ販売しているだけではありません。商品や配送品を管理するためにダンボールにバーコードを貼っていますよね。あのバーコードには、商品の種類やメーカー・価格などの詳細情報、行き先といった情報が書き込まれているのですが、今まで手書きだったものをバーコードで出してパソコンで管理する…といった業務効率向上の仕組みづくりまで担当しています。現在、社員数は20名で、年商は7億円くらいです。

父から会社を引き継いだのは、平成25年でした。もともと会社を継ぐ気なんてなかったんですよ。でも、父がガンになってしまって。この病気は亡くなるタイミングが分かるじゃないですか。1年くらいかけて少しずつ引き継いで、ある程度見通しが立ったところで、父は本当にいなくなってしまいました。呆然としましたね。「少し前まで社員のみんなと一緒に働いていた私が社長?」という感じでした。

お父様が作られた東京西サトー製品販売の設立経緯を教えてください。

もともと父はSATOブランドを持つ現サトーホールディングスの外務員で西東京地区担当でした。当初は支店のような位置づけだったようですか、会社の組織変更に伴って、資本を入れ替え、父が代表のサトーマーキングから、現在の東京西サトー製品販売株式会社になったと聞いています。これが昭和54年頃のことですね。

私も覚えていますけど、最初は小さい倉庫でした。荷物が半分入っていて、もう半分に事務机がある…そんな感じです。父は私も妹もどうせ嫁に行っちゃうから、自分の一生分が稼げれば充分と考えていたそうです。ところが、これが思わぬ展開になっていきます。

サトーホールディングスの創業者が海外より自動認識(バーコード管理・表示)をもってきたのですが、まだ日本には浸透していなかったので、バーコードラベルの1枚あたりの単価が確か40~50円と高額のものでした。普及するとは考えにくいものだったのですが、大手コンビニエンスストアの導入がきっかけになり、取引業者はそれを付けなきゃいけなくなって、一気に需要が爆発。さらに、大量のバーコード発行に対応できるバーコードプリンタの需要も高まった時代でした。

思えば、このあたりが転機だったのかもしれません。取扱製品の需要が高まる、人手が足りなくなって人を雇う、そして別会社で働いていた私が入社してくる(笑)。いろんなことが重なって、父がやる気になった(笑)。そして、今まではただの食い扶持稼ぎだった会社を、本格的に大きくしていこうとし始めました。社員3名、年商1億円くらいだった会社が、ここからどんどん成長していきます。



横川さんはどうして東京西サトー製品販売に入社されたのですか?

その頃、勤めていたエステサロン運営会社を辞めたばかりで、次の働き口を決めるまでの“繋ぎ”としてアルバイトで入社しました。だから経営に興味なんてなかったし、会社を継ぐ気も、長くいるつもりもなかったんですよ、最初は。

でも、ハマリ性なところがあって。父がいろいろ仕事を任せてくれたので、それで仕事が面白くなって先に話した取引先への「業務効率向上の仕組」の基礎づくりからはじめました。

当時、私たちって製品販売以上のことはできなくて。これでは商品価値を感じてもらいにくいし、質の高い仕事ができません。で、父から「バーコードの設定ができるようになれ」と言われて。サトーホールディングスの営業の方に教えてもらったり、メーカーの勉強会に参加したりして。ただ製品を売るだけじゃなくて、製品を使った業務効率化の仕組みづくりまでを提案できるようになりました。当時、販売店でここまでできるところは他になかったと思います。

その頃、子どもの服をネットオークションで売って新しい服を買う足しにしていたのですが、これを仕事で活かせないかと考えて。父に相談したら条件付でOKをもらえたので、ネットショップを作って販売してみたんです。社内では「売れない」と言われていたのですが、やってみたら意外と注文がきた(笑)。瞬く間にネット注文からの売上が総売上の10%くらいに。さらに、ネットショップの利点は、見込み客からの問い合わせも来るんですよ。これよって飛び込み営業が少なくなり、効率の良い営業活動ができるようになったのは大きいですね。

横川さん自身について、教えていただいてもよろしいですか?

私は、ぼーっとしているってよく言われる子どもでした。といっても、意思が無いわけではなく、関心の無いことを頑張らない子どもだったんです。今となってはみんなでやる楽しみを覚えましたけど、文化祭とか体育祭とか、私は共同作業に価値を見出せませんでした。一緒にやっていると自分の成果じゃないからつまらないっていう考えの子でしたね。

昔は、幼稚園の先生になりたいという夢がありました。それで学校も教育方面に進んで幼稚園の先生になったんです。でも、そこで先生の重みを初めて知りました。幼児教育とか保育心理学とかを学んでいた学生が、ポンと現場に出されて先生を演じなければならないんですよ。先生って、言葉とかを教えるだけじゃなくて、道徳的なことや正しいことも教えなきゃいけない立場なのに、自分が全然付いていってない感じ。頭と心と立場の不一致に、すごく悩みました。他の先生とも全然上手くいかなくて、「私は先生になれないな」と思ったんですね。

でも、子どもは大好きだったので、「子どもに関わる仕事がしたい」という思いはずっとありました。そんなとき、知り合いからの紹介で託児所の保母さんの仕事があると聞きました。それが、当社に入る前に勤めていたエステサロン運営会社の託児所です。

ところがこの仕事、子どもの面倒を見るだけと思っていたら、営業要素がありました。月の売上いくら、預かり何人というノルマがあって(笑)。最初は営業ってすごいストレスでした。でもそこの4人の保母さんとは気があって、みんなで楽しみながらいろいろ勧誘方法を考えていました。お料理教室を開いてお母さんたちを集めて、さりげなく託児サービスをアピールしたり。今にして思うと、そこでの経験がその後のいろいろな仕事に活かされています。

そのエステサロン運営会社は、社長の考え方が本当に合わなくて。「これは絶対に倒産する」とみんなで話していて一斉に辞めることにしました。そしたらその翌月に本当に倒産してしまって。そして、父の会社でアルバイトすることになったという経緯です。



予期せぬ社長就任で苦労されたことはありますか?

苦労したことはいろいろありましたね。一番大きかったのは、父が「社長!」という感じの人だったのに対し、成り行きで社長になった私について不安視する人がいたことですね。実際、会社を去る人も中にはいました。「社長とはどうあるべきか?」本当に悩ました。半分鬱っていうくらい考えて、もう何が正しくて、何が間違ってるのかも分からないくらい悩みました。

でもある時、社員の1人に言われた言葉に救われました。「みどりさんはみどりさんのやり方で付いてくる人が十分いるから、前社長と同じことをしなくていいし、同じことを目指さなくていいんだよ。今ここにある社長像を、みんなの中から崩していくのもありなんじゃない」という風に言ってくれて。「ああ、すぐ社長にならなくてもいいんだ」と、自分を縛り付けていたものから解放された気がしました。

子どもが生まれた瞬間は全然母親じゃないけど、子育てを通じて母親になっていくのと同じというか。「それでいいんだ!」と思えたことで、いろいろなことがやりやすくなりましたね。



社長に就任されて、感じた課題などはありますか?

みんなバラバラだったことですね。みんないろいろな会社を経験して、教育システムのある会社、全然ない会社もあって、「普通」が1人ひとりで違うわけです。そのため、小さなトラブルがたくさん起きていました。だから、東京西サトー製品販売としての「普通」をきちんと作らなければならないと思いました。

ここでいう「普通」とは、「私たちが目指すのはどこなのか」「私たちの正解は何なのか」という考え方や判断の軸のことですね。

私は会社にはいろいろな人がいていいと思っているんです。営業が得意な人がいる。電話応対が得意な人がいる。書類作成が得意な人がいる。それでいい。誰かが蹴落とされる会社じゃなくて、誰もが立っていられる会社。人に合わせて行動できるような組織でありたいと思っているんです。そのためにも、みんなの共通認識が必要でした。目指すところは一つじゃないといけないかもしれないけど、方法論はたくさんあるから、みんな同じやり方じゃなくていいんだよっていう、そういう研修に力を入れましたね。

やってよかったと思います。どよーんとしていたオフィスの空気がパッと明るくなりました。目に見えない「何か」が明らかに変わったという手ごたえを感じています。



二代目としての心構えやこれからの展望について教えてください。

やっぱり根本にある考え方は変えてはいけないと思っています。今、社員のみんなが大切にしてくれているものは、お父さんの時代から引き継がれているものなんですよね。とはいえ、社会は変わっていくものだから、その流れに逆らってはいけない。だから時代を超えて普遍的な経営理念のようなものが50%、時代に合わせて変えていくやり方などが50%といった割合で仕事をしていくべきだと考えています。

私は元々この仕事に興味があったわけじゃないので、これから自分のやりたい仕事を少し大きくしていきたいなと思っています。それは働くお母さんたちに向けた社内福利厚生に関わることなんです。家庭と仕事をしていると、何かを取れば何かを捨てないといけないものなんです。でも、捨てないでいい生活を私はしてみたいと思っています。

例えば、習い事。子どもが小さくて時短勤務だった頃は週2回くらいお花のアレンジメントやピアノ教室に行けてました。でも、フルタイム勤務になると、仕事が終わってからじゃ行けないじゃないですか。料理を習いたい。スポーツをやりたい。そんな風に考えている働くお母さんって多いと思うんです。なので、今建設中の新社屋は、一番上はホールにしてあって、ダンスもできるし、キッチンもあってお料理教室もできるようになっています。まず働いてる従業員が充実した生活を送れるような会社を作って、成功したら展開していきたいですね。託児所についても今の時代にあった新しいものを考えているところです。

今の事業については、実は少しずつ社員に引き渡す作業を進めています。今までは私が、「ああしてください」「こういうことをしますよ」と指示を出していたのですが、自分たちで考えて経営していくプロジェクトを立ち上げたんです。みんなが経営に関わっていく代わりに、私はみんなの補佐する立場で、みんなが働きやすい環境を作っていく。このようなことを1年間やってきました。まだ道半ばなのですが、2020年には新しい経営体制の完成を予定しています。

私が仕事をすごく楽しいと思えたのは、社長になってからなんですよ。その理由は、自分の好きなことができるから(笑)。

なので、この感覚をみんなに感じさせてあげたいという思いがあります。別に社長がいたっていいわけですよ。例えば、「こういう事業をやりたい」という意見があってやる気がある方にはそこを任せちゃうとか。いつまでも頭づまりだと、テンションって下がるじゃないですか。でも、「社長にもなれるかもしれない」と思うと「やろうかな」と思う人も出てくるかもしれません。いろいろな人が「働く」をもっと楽しめる、そういう会社にしていきたいと思っているんですよね。




<インタビュー情報>

東京西サトー製品販売株式会社
代表取締役  横川 みどり
会社ホームページ http://www.nishisato.com/

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