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組織力で“脱印刷”の実現を目指す

株式会社日光プロセス
代表取締役 原田 一徳


 創業から現在に至るまでの変遷について教えてください。

写真製版業に携わっていた祖父が、昭和28年(1953年)に独立して大阪で日光プロセスを創立しました。写真製版会社として創業当初から品質には徹底的な拘りを持っており、製版技術のクオリティに関しては昔から業界でトップクラスの評価をいただいています。また、祖父は「堅実に商売すること」を信条としており、高品質と堅実さは現在まで脈々と受け継がれている点です。

創業当初はガラス板に職人が絵を描く湿板法という手法が主流で、製版会社は完全に職人・技術者の集まりだったと聞いています。写真フィルム法へ移行してからも、フィルムを一つの大きな台紙に貼り付けていく集版という職人技が不可欠な仕事でした。

戦後復興に沸く時代背景を受けて製版・印刷の仕事は増え続け、早い段階から大きいサイズのカタログ・ポスターを取り扱うようになります。目伸ばしという製版カメラを用いた拡大撮影の技術を磨いてきたことで、古くから日光プロセスは大サイズの製版に強いというイメージが定着してきました。その強みは現在でもインクジェットプリンターを用いた大型ポスターの制作などに受け継がれています。

平成6年にMacintoshを導入し、時代の流れにあわせてアナログからデジタルへと本格的に移行してきました。デジタル技術の導入は比較的遅い方でしたが、それからは順調に対応を進め、現在ではポスター、カタログ、カレンダー、新聞、雑誌の製版・印刷やポスターカタログ等の画像作成、大型ポスター等のインクジェット出力を主な事業として取り扱っています。



日光プロセスの経営理念は何ですか?

社是として「和」という一字を、社訓として「良品・創意・感謝」の三つを掲げています。

単なる仲良しクラブではなく、「全ての人に相手を尊重して、互いに意見を交わして成長していく」という意味が込められているのが社是の「和」です。

社訓の「良品」とは、“品質”の良いものと“品”の良いものを提供するという二つの意味があり、「創意」は創意工夫をもって仕事に取り組むこと、「感謝」は家族や同僚など自分の周りの全てに感謝をするという意味です。この社是と社訓をもって日光プロセスでは経営理念としています。

この経営理念は、一昨年から経営戦略の方向性をまとめてきた中で明文化したもので、昨年全社員に向けて発信し、現在浸透を図っているところです。



 日光プロセスの特徴・強みを教えてください。

印刷機を持たない印刷会社であることが日光プロセスの特徴です。印刷機で紙に刷るだけでなく木であろうがアクリルであろうが色で表現するものであれば全て取り扱わせていただいています。現在では印刷機を自社で持っている製版会社がほとんどなので、ウチのように印刷機を持たずに製版を主流としている会社は業界でも非常に稀な存在だと思います。

画像のレタッチ技術には自信を持っており、同業他社との一番大きな違いは用紙に刷った時に思った通りの色に仕上げるよう責任を持って製版を行わせていただく点です。用紙にも様々な種類があり紙によって仕上りの発色が異なるため、クライアントが求めている色で印刷できるよう我々が責任を持って調整させていただいています。

強みとしては当たり前のレベルが高いこと。ウチの社員は素直で真面目な人間が多く、自分だけ楽して得をしようと考えない気風が根付いています。お客様の気持ちに寄り添って、多少の無理であれば当たり前のようにお客様の要望に応えようとするスタッフばかりなんです。

これは先代、先々代の時代から着実に積み上げられてきた風土です。我々の仕事は、結局は人対人の仕事なので人間性がすごく重要なんです。製版・印刷の技術の前に、お客様一人ひとりを尊重する基本的な姿勢を大切にしてきたことが日光プロセスの一番の強みだと思っています。



日光プロセスに入社し会社を継ぐことはいつ頃から意識していましたか?

子どもの頃はあまり会社を継ぐことを意識していたわけではなく、むしろ高校生までは反抗期だったこともあり、漠然と敷かれたレールの上に乗ることに抵抗を感じていました。一つ転機となったのが、アメリカンスクールに通っていた高校2年生の時に夏休みのサマースクールに参加したことです。

17歳で参加したサマースクールでは周りに日本人が結構いたのですが、欧州を何カ国も周っていたり、ずっとアメリカで生活していたりと諸外国での生活を経験してきた日本人しかいませんでした。同じ日本人でありながら異なる環境で生まれ育ってきた同世代の子たちと話をする中で、自分が如何に小さな考え方をしていたのか痛感させられましたね。

広い視野で物事を見ていて家族との関係性もしっかり出来ている同世代の考え方を知ることで、視野が広がって自分自身の境遇や将来的に会社を継ぐことを肯定的に考えられるようになったんです。その時の経験がなければ会社を継いでいなかったかもしれません。

日光プロセスに入社することを決めた直接的なきっかけは、大学3年生から4年生に上がるタイミングで父が入院したことです。父は肝臓の病気で、その時はまだ発病していたわけではありませんでしたが、いつ発病するか分からないという状況でした。

父の病状を知り、発病したら長くないかもしれないと聞かされたことで日光プロセスに入社する意思が固まり、大学を卒業した2000年に入社して東京支社で働きはじめることになりました。


入社されてからどのような経緯で社長に就任されたか教えてください。

東京支店に営業職として配属され、今は営業部門の取締役を務めてくれている当時の課長の下で営業の仕事を約2年間経験させてもらいました。入社して2年程経った頃、会長の祖父がそろそろ引退を考えていた時期だったこともあり、本社の大阪に呼び戻されることになります。

東京での営業の仕事に面白みを感じはじめていたため最初は大阪に帰ることに難色を示していましたが、結局は私が折れて大阪への異動を受け入れました。大阪に戻った2ヶ月後に二代目の社長を務めていた父が亡くなったため、今では結果的にそのタイミングで帰ってきてよかったと思っています。

父が亡くなったことで取締役会が開かれ、そこで会長の祖父から指名を受けて入社2年目で若干25歳にして三代目として社長に就任することが決まりました。祖父は一旦社長の座を譲ったのだからと戻ることは考えておらず、私に継ぐことだけを考えてくれていたんです。当時の幹部を務めてくれていた役員たちも、若くして社長に就任することに異を唱える人は誰一人としておらず、好意的に私をフォローすると言ってくれました。

会社のことも経営についても何一つ分かっていないような状況でしたが、いつかは会社を継がなければならないと思っていたので、覚悟を決めて社長に就任しましたね。

25歳という若さで社長に就任されることについて不安には感じていませんでしたか?

今思えば何も分かっていなかった状況だったからこそやれたように思います。中途半端に分かっているとプレッシャーを感じていたかもしれませんが、何をしていいか分からないまま、いつかはやらなければならないことが早まっただけだと当時は思っていたんです。

会長からは「数字は見なくていい。ただがむしゃらに仕事を取ってこい。売上げさえ上がれば利益は出る。単純だから動けばいい」とだけ言われて、その通りに動いていたので本当の意味での経営者としての自覚は芽生えていなかったように思います。

本気で経営について考えるようになったのは社長に就任してから5年後、祖父が亡くなってからです。折しもリーマンショックの影響で売上げが急激に落ち込んだタイミングでもありました。当時、新しく導入したインクジェットプリンターでの印刷の仕事が増えはじめて一つの柱として期待していたところだったのですが、2008年にリーマンショックが起こったことでその期の決算はボロボロの状態でした。

周りの皆は本当に一生懸命に私をフォローしてくれていたので、経営者としてこのままではダメだと思い、経営者を対象としたマネジメントスクールに1年間通うことを決めました。私を支えてくれている皆に報いるためには自分の役割を果たさなければならないと強く意識し始めたんです。




会長が亡くなられてから、どのようなことに取り組まれてきましたか?

祖父が亡くなってあらためて創業者の偉大さを痛感しましたね。祖父は戦争も経験し、終戦後ゼロから会社を立ち上げた典型的な創業者タイプでした。長年トップを務めてきたことで会社のことは現場を見なくても隅々まで把握していましたし、正直に言って祖父のようなハングリー精神や経営者としての鋭敏な感覚は私には持てないと思っていました。また、二代目の父も人の話を聞くのが上手な器の大きい人だったので、父のような器の大きい経営者になるのも自分には無理だと感じていたんです。

祖父や父のやり方を真似ても上手くいかないことは分かっていたので、自分なりのやり方をしなければいけないと考えるようになりましたね。それも自分ひとりでは無理だと考え、取締役2人にもマネジメントスクールに通ってもらい、管理部門の専門家である監査役に入社をしてもらい、経営チームとして一緒に考えてもらえるような体制を目指していきました。

経営チームとしてまず取り組んだのは、分かりにくかった会社の仕組みを見える化して分かりやすくすることです。いわゆる管理会計と言われる月次決算の導入や、就業規則などの総務・法務的な部分の整備、管理・財務などの仕組みを、徐々に整えていきました。


様々な点で仕組みを整えたことで、どのように変わりましたか?

上が下を指導する際に論理的な説明ができていなかったことに私自身がすごく苛立ちを感じていたため、感覚的なものではなく客観的な指標を定めて何をすればいいのか明確にすることを第一に考えました。会社としての意思決定も取締役会に合議制を導入して、最終的には社長である私が判断を下すものの、意見を出し合って決めるようにしています。

以前は売上げが上がって利益が出ていても、なぜその数字になっているのか社長ですら把握できていないような状態でした。管理会計の導入などによる見える化を推進してきたことで、今では私だけでなく中堅クラス以上の社員が会社の数字の理由を把握できるようになったことが一番大きな変化です。組織力としては以前より今のほうが断然強くなったという実感があります。

社長に就任してからの15年間を振り返ると最初の5年はただがむしゃらにやっていました。祖父が亡くなってからの5年は悩んで何をしたらいいのか分からず迷走していたように思います。そして、この5年で取締役も含めた経営チームで考える体制が整ったことで組織力を向上させることができました。そのため次の5年が勝負だと思っています。


今後の展望を教えてください。

定量的な目標としては、3年後に売上げ12億円を達成するという目標を掲げています。結果として12億円を達成できればいいのではなくて、しっかりとした方針と戦略に基づいて目標を達成したいと考えています。

また、経常利益目標を達成できたら会社で海外旅行に行くという目標を立てているので、70周年までには達成したいですね。そのためには新しい仕事を創り出していくことが必要です。組織力が向上しても仕事を生み出す能力がなければ会社として成長していくことはできません。

インクジェット機を導入して製版だけでなく出力まで事業領域を拡げるなど少しずつ変化はしてきてはいるのですが、これまではお客様からの要望を取り入れる形で会社の方針を決定してきたことが多かったので、これからは具体的な方針を掲げた“意図を持った経営”をしていくことが課題です。

具体的には「脱印刷」というビジョンを掲げて取り組みを始めています。脱印刷と言うと印刷業をやめるように受け取られがちですが、印刷自体をやめるのではなく新しいことにチャレンジする過程で結果的に印刷から離れたことであっても構わないということです。

脱印刷のビジョン実現に向けて、営業・製造・管理といった全ての部署が意図を持った行動をしていくことが必要になります。営業に関して言えばラッキーでお客様からお仕事を頂くのではなく、自分たちが仕事を創造することにウエイトをかけていかなければなりません。

一言でいえば販売戦略の強化が最大の課題だと思っています。販売強化は決して営業部門だけの課題ではなく、製造部門としても出来ることは何なのかを考えていくことが必要です。製造部も受け身ではなく能動的に発信していくことで販売に関わることも含めて、皆が自分ごととして考える組織にしていきたいんです。

そのために必要になるのが人財強化です。私一人の力では何も実現することはできません。組織力の向上もまだ十分にできたと思ってはいないので、現状に満足することなく常に課題意識を持つようにしてビジョンの実現に向かって邁進していきたいですね。




<インタビュー情報>
株式会社日光プロセス
代表取締役 原田 一徳
会社ホームページ http://www.nikkop.co.jp/index_pc.html

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