Original

国内唯一のエボナイトメーカーとしてオンリーワンの価値を提供する

株式会社日興エボナイト製造所
代表取締役 遠藤 智久



創業から現在に至るまでの変遷について教えてください。

北海道から東京に出てエボナイト工場で働いていた祖父が独立して日興エボナイト製造所を創業したのが1952年。エボナイトは天然ゴムに硫黄を加え加熱することでできる硬くて光沢のある合成ゴムで、電気絶縁性や耐水性、耐薬品性が高く、熱伝導性が低いという特徴があります。かつては電気器具の絶縁材など幅広い用途で使われており、エボナイトを製造する工場も数多くありました。

ところが、安価なプラスチックの普及により、次第にエボナイトの需要は減少していきます。昭和30~40年代にかけて多くのエボナイトメーカーが次々と廃業していき、国内のエボナイトメーカーは当社一社だけになってしまいました。

需要減により、技術力の高さを武器に操業を続けてきた当社も右肩下がりで業績が落ち込み、一番苦しい時は従業員数が家族4人を含めて計6人になってしまったこともありました。

状況を打開するため下請けからの脱却を図り、国内唯一のエボナイトメーカーという肩書を活かした独自商品の開発に着手。様々な消費者向け商品の開発に取り組み、たどり着いたのがオリジナルのエボナイト製万年筆でした。

数多くの方々にご協力いただいて2009年にオリジナル万年筆を完成させ、「笑暮屋(えぼや)」というWebショップを開設。現在ではWebショプだけでなく実店舗でも万年筆やボールペンなどオリジナルの筆記具を販売しており、多くのお客様からご好評いただけています。



子どもの頃から家業を継がれる意識はお持ちでしたか?

子どもの頃から明確に後を継ぐことを考えていたわけではないのですが、生活と家業が一体となっている環境で育ってきたので、モノづくりの仕事には思い入れがあります。

小学生の頃は学校から工場に帰ってきて、よく工場の事務所で漫画や雑誌を読んだりしていましたし、仕事を手伝える年齢になってからはお小遣い稼ぎにバリ取りの仕事をさせてもらっていました。

小さい頃から両親が工場で働いている姿を見ながら育ってきたので、ウチの会社にもモノづくりの仕事にも愛着がありますね。

大学卒業後はダンボールメーカーに就職し、4年間は営業職として働いていたのですが、1998年に父が二代目の社長に就任したことをきっかけに、呼び戻されることになりました。家業に戻ってくることを決めた時には、自然と後を継ぐ意識が生まれていたように思います。


入社されてから、どのようなことに苦労されましたか?

入社してからは工場で製造の仕事を担当したのですが、その当時は年々売上げが落ちていっているような状態だったんです。入社して初めて会社の決算書に目を通したのですが、経営状況は本当に厳しく、需要が減少し続けていく状況に危機感を覚えました。

苦しかった状況に拍車をかけたのが2008年のリーマンショック。これ以上は落ちないだろうと思っていた状況から更に業績が落ち込みました。その時は従業員数が家族4人と従業員2人の計6人にまで減ってしまうというドン底の状況でしたね。

このままではダメだと思い、様々なセミナーや展示会などに参加し、何か活路を見出だせないかと模索する毎日でした。転機となったのが、東京都が主催する商品開発講座に参加した際、講師の先生から「自社独自の商品を作らなければいけない」とアドバイスを頂いたこと。

その方からのアドバイスにより、下請けとして仕事を待っているのではなく、国内唯一のエボナイトメーカーとしてこれまで培ってきた技術力を活かしたオリジナル商品を開発することを決心しました。


(オリジナル商品のギターピック)


オリジナル商品の開発は一筋縄ではいかなかったのでは?

素材を製造・販売するBtoBビジネスから、消費者向けの商品を作るBtoCビジネスへの転換を図り、新商品のアイデアを必死になって考えました。当時は仕事量が少なくなってきており、やることがない日も珍しくなかったため、考える時間は十分にあったんです(笑)。家族や従業員が一丸となって知恵を絞り、エボナイトの特性を活かした新商品を模索し続けた結果、たどり着いたのが万年筆でした。

エボナイトはインクへの耐性があり、しっとりとした温かみのある手触りから万年筆に適した素材です。もともと高級万年筆にも使用されており、日興エボナイト製造所でも以前から万年筆メーカーにキャップや軸用のエボナイト材料を提供させていただていました。

筆記具の製作は初めての経験でしたが勝算はありました。エボナイトの製造・加工の難しさから一部の高価な万年筆でしか使われていなかったため、エボナイトに関する技術では他の追随を許さないウチが開発する万年筆であれば、品質と価格面で十分勝負ができると思ったんです。

万年筆の素材として使用するために、本来は黒褐色であるエボナイトに顔料を練り込んでカラー化したり、マーブル柄のエボナイトも開発しました。

エボナイト素材の改良は進めていきましたが、それだけで万年筆を製作することはできません。以前からお付き合いのあった葛飾区の万年筆職人の方々に軸やキャップなどのパーツを製造していただいたり、海外のペン先メーカーを紹介していただいたりと、数多くの方々にご協力いただくことで、何とか2009年にオリジナル万年筆をリリースすることができました。



エボナイト万年筆の販売は順調だったのでしょうか?

地元荒川区の産業展に完成したエボナイト万年筆を出品したところ、1本6万円の万年筆を二日間で5本も買っていただくことができたんです。売れた時は本当に嬉しかったですね。ビジネスとして成功する予感が確信に変わった瞬間でした。

万年筆の製造・販売を本格的に事業化するため、2009年にWebショップ「笑暮屋」を開設し一般販売も開始。Webショップの開設にあたっては、ペン愛好家の方々との交流の中で知り合った、Webサイト運営や文章のライティングを得意とするブロガーの方にご協力をいただきました。

また、2011年には日本橋三越本店が開催する万年筆の催事にも出店させていただき、多くの万年筆ファンの方からご好評を頂くことができたのは有り難かったですね。この催事で高い評価を頂けたことで当社オリジナル万年筆の知名度が上がり、順調に販売網を拡大していくことができました。

万年筆の製作やWebショップの開設、商品のブランディングなど、本当に多くの方に支えていただけたおかげで事業を軌道に乗せることができたと思います。オリジナル万年筆のヒットは、当社だけの力ではありません。様々な方とのご縁に恵まれたからこそ成し遂げることができたと思っています。


智久社長が事業を承継されたのはいつですか?

私が三代目として社長に就任したのは、入社して12年目の2010年。当時102歳だった創業者の祖父が、私に会社を継ぐよう言ってくれたことがきっかけとなって代表を交代しました。エボナイト万年筆の新規事業も軌道に乗り始めた頃だったので、ちょうどいいタイミングで背中を押してもらうことができたと思います。

祖父は先見の明がある人で、何歳になっても柔軟な発想や考え方ができる人でした。祖父の一言で助けられたことも少なくありません。たとえば、祖父が91歳の時に、これからはインターネットの時代だからと、ホームページを作るように言われたことがあります。

祖父の助言に従ってホームページを作っておいたことで、現在ではインターネット経由で海外から注文がくるようになり、海外へ販路の拡大をすることができています。

一方、先代の父は根っからの職人で、会長になった今でも現役で職人に対して指導を行ってくれています。日興エボナイト製造所が培ってきた技術やノウハウを残していかなければ継続していくことはできません。代表を退いた後も後進の育成に取り組んでくれている父の存在は大きいですね。


今後の展望について教えてください。

エボナイト万年筆のヒットにより、リーマンショック前の売上げの1.5倍にまで業績を伸ばすことができました。今後も国内でオンリーワンのエボナイトメーカーとして、お客様に喜んでいただけるオリジナル商品を提供していきたいと思っています。

また、実は国内だけでなく世界的に見てもエボナイトメーカーは希少な存在です。私が知る限りドイツに2社あるくらいで、海外でもエボナイトを製造・加工できる会社は少ないのです。一方で、万年筆や楽器のマウスピースなど海外におけるエボナイトのニーズは日本よりも高く、供給するメーカーが不足しているような状況になってきています。

2011年に海外のBtoBマッチングサイトであるアリババドットコムに登録してからは、インターネットを通して全世界から注文が入るようになりました。年々海外からの注文は増え続けてきているため、まだまだ可能性を感じています。

今後も人との繋がりやご縁を大切にしながら、日本国内だけでなく世界に向けてエボナイトの魅力を発信していきたいですね。

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<インタビュー情報>
株式会社日興エボナイト製造所
代表取締役 遠藤 智久
会社ホームページ https://www.nikkoebonite.com/index.html
笑暮屋(えぼや) https://eboya.net/

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