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「浦霞」「鯨」「三陸の海の幸」の三本柱を守り続け、老舗居酒屋として突っ走っていきたい

株式会社ネオユニバース
代表取締役 佐藤 慎太郎

― 創業から現在に至るまでの変遷について教えてください
50年前の1968年に、私の両親が高田馬場で第一号店となる樽一を開店させました。一号店は7坪の小さなお店でした。3年後に池袋店、2年後に神田店、更に翌年には新宿店と勢いをつけてどんどんと出店していき、私が大学生の時には、大塚に仙台牛のステーキとしゃぶしゃぶの店を出していました。
父は「故郷の味を東京の人に」という想いが強い人でした。現在のアンテナショップの走りのような感じですね。私は学生の頃から樽一でバイトをしていて、当時の高田馬場、神田、池袋、新宿の各店舗で人手が足りないところを回りながら樽一について学んでいました。


― 家業を継ぐ意識はいつ頃からありましたか?
子供の時から店を継ごうと思っていましたね。今の新宿店に家族で連れてきてもらうことが何よりの楽しみで、お父さんのお店だから自分のお家という感覚を持っていました。子供心に自分のお家でこんなにみんなが喜んでくれることが嬉しくて、いつかは自分が店を継ぎたいという想いが芽生えました。

小学生の頃の卒業文集には「お父さんの後を継いで経営者になります」と書いていたくらいです。
中学・高校では、ブラスバンド部の部長やクラスの学級委員をやったりしていました。あまり人を引っ張っていくタイプではないんですが、どうすれば周りの人が円滑に回るのかマネージャーのような立場にいたような気がします。

大学でも部員が100人くらいいるアーチェリー部に所属し主将を務めました。人には強みと弱みがあります。強みを持ち寄り、弱い部分を補って強い組織にするための調整をするのが私の役割でした。目立つキャプテンではなかったですが、チームとしてやっていくということを常に意識していましたね。


― どのような流れで入社し、事業を引き継がれましたか?
1993年に大学を卒業してからは、醸造試験場へお酒の勉強をしながら調理師学校に通う傍ら、大塚のしゃぶしゃぶ店の店長をやらせてもらっていました。その頃、樽一新宿店の店長が体調を崩してしまったため、店長の代理として本格的に樽一で働きはじめました。昼間は学校に通い、夜は店長という生活でした。
それからしばらくは新宿店で働いていたのですが、2003年に父が急逝したため代表を引き継ぐこととなりました。父とは一緒に築地に仕入れに行っていたんですが、仕入先から家に帰り昼寝をしていて、そのまま亡くなってしまったんです。今となってみると、バブルが弾けた後お店が苦しい状況だったのに加え、2001年に歌舞伎町で発生した火災の影響で客足が途絶え、心労が重なっていたのかと思います。


― 先代のお父様はどのような方でしたか?
豪快な性格で、居酒屋業界の草分け的な人でしたね。宮城の地酒「浦霞」を東京に広めたいという想いでお店を出していたため酒蔵の方とも親交が深く、鯨の食文化を守る会の副会長をやっていたこともあり鯨の業界でも活躍をしていました。
損得勘定を抜きにしてお客さんにお酒を振る舞ったり、蔵元の息子に対して「この日本酒はなってない!」と説教したり(笑)、みんなの父親的な存在でした。父が亡くなった時、大勢の人が集まってくれたのを見て、「これだけ多くの人に慕われた人だったのか」とあらためて感じました。そういう意味では人徳のある人だったと思います。

父の生前は、お店の方針についての意見で毎日のようにぶつかっていました。例えば父はお客さんにお知らせを出す時、自分の言いたいことを何枚分も書いて封筒で送ろうとするんです。「そんなの誰も読まないよ、今の時代メールじゃないの」と(笑)。目指している所は同じでも、時代の変化に伴うやり方の違いでいつも喧嘩していましたね。

父が亡くなる一ヶ月前に言った「腹をもて」という言葉が印象的で今も心に残っています。
「お前は何か言われるとその場で言い返して受け付けないが、言われた言葉を一回受け止めてお腹に落としてから、やるかやらないかは自分で判断するべきじゃないか」という意味の言葉でした。


― 事業承継後、どのような苦労をされ、どのように乗り越えてこられましたか?
事業承継後、なかなか組織として機能していませんでした。樽一の経営状況も悪くなる一方で「このままではダメだ」という思いから、悩みに悩んだ末、お店と組織の在り方について改革を断行することを決意し、新体制を構築しスタートさせました。それから何とか新宿店を盛り上げようと、ぐるなびやホットペッパーなどネット媒体で企画をしたり、メルマガを発行したり、考えられることは何でも必死に取り組みましたね。
とにかく、お客さんに来てもらうことしか考えていなかったです。まずは伝えることを重視し、売り方・見せ方を変えていきました。努力の甲斐もあって、順調に売上げも伸び、今ではメルマガの会員は一万人にまでなっています。


― 先代のお父様の時代から、変えるべきところと変わらないところは何ですか?
私の中では、「浦霞」、「鯨」、「三陸の海の幸」の三本柱が父の代から変わらない樽一の支柱だと思っています。この三本柱は、私が子供の頃からあるもので、なくなると樽一ではなくなってしまいます。逆に言うと、それ以外は時代に合わせて変えていかなければならないと思っているため、新体制を立ち上げてから様々な取り組みを行なってきました。
今は紙媒体ではほとんど効果がない時代なので、情報発信の方法についてはネット中心に路線変更をしました。

また、私のことを「しんちゃん」と呼んでいただいたり、名刺に似顔絵を載せたりとキャラクターづくりは意識しています。『世界の山ちゃん』は、あのキャラクターの絵があるおかげで山ちゃんがお店にいるような気がするじゃないですか。樽一でも、しんちゃんがキャラクターとして定着することで、お客さんに安心感を与えられるようなイメージ戦略を目指しています。

今の新宿店は、前の雑居ビルから引っ越してきた新店舗で、あんまりに綺麗になっちゃったので店内のイメージはすっかり変わりましたが、踊り場にしんちゃんの看板が掲げてあることで、「あ!しんちゃんいるいる!やっぱり樽一だ!」と思ってもらえるんです。

新体制になってからも変わらない部分は、「しんちゃんのお家に遊びに来ている」という想いで取り組んでいることです。これは私が幼少期に父の店に訪れた時の感覚からきています。この想いは変わらないですね。
例えば、アルバイトの子にも「自分の家に友だちが遊びにきたとしたらどうするか」を考えて働いてもらっています。「掃除をしたり、来てくれる人が何を好きだったか考えたりするでしょう」と。「今日はそういえばお誕生日だったかな」とかそういう感覚で考えてもらっています。「あの人がくるなら、お酒はこの銘柄を用意しておこう」といった心配りは、店長一人ではできないので、スタッフ全員で考えてもらうようにしています。

樽一のお客さんはは9割が常連さんです。前の店舗は雑居ビルの5階でしたし、移転した新店舗も歌舞伎町にある地下1階です。知らないとなかなか来店していただきづらい立地なんです。常連さんや、常連さんが紹介してきてくださるお客さんあっての樽一だと思っています。


― 人材・組織づくりの面でも大きく方向転換をされていますね
現在の正社員7名は私が募集して採用した人材です。父のことを直接知っているスタッフは誰もいません。やはり組織として機能させていくためには、トップの考えていることが従業員にしっかり伝わっていないと会社がどこにいってしまうかわからないですから、新体制を立ち上げてからは、人づくり・組織づくりに力を入れてきました。
現在、私新宿店と新しくオープンした新宿三丁目店を見てくれる店長が1人、店長をサポートする副店長が2人いる状態です。今まさに会社が組織として上手く機能しはじめているところなんです。

私の考えが店長に、店長から副店長に、副店長から従業員へという指示系統にしています。組織としてはまだこれからといったところで、私も含めて訓練中です(笑)。私はワンマンタイプではないので、思っていることは全て伝え、社長の頭の中だけでは終わらないようにしています。


― 新体制が軌道にのった今、樽一の強みは何だと思いますか?
「飲食を通じて元気を与える」のが樽一だと思っています。美味しいものを食べ、美味しいお酒を飲んで、空気感を楽しんでもらって、また明日から頑張るための元気を充電してもらえる場が樽一なんです。
そして、節目節目に使ってもらえるお店として樽一は在りたいですね。単価が5~6,000円のお店なので、毎日頻繁に来るようなお店ではありません。その代わり、来る時は大事な仲間を連れてきてくれたり、お客さんがお客さんを選んで連れてきてくれるお店なんです。初めてのデートが樽一だったり、両家顔合わせが樽一だったり、初孫をおじいちゃんに初めて会わせるのが樽一だったり(笑)。

カウンターだけのお店って人間関係が結構強いですよね。樽一も創業当初は7坪の敷地でカウンターだけのお店だったので、その時のお客さんとの距離感に140席ある今の店舗でどこまで近づけられるか挑戦しています。お店とお客さんの関係とは違うような、「自分の居場所」のような役目をやらせてもらっているのが樽一の強みだと思いますね。

最近の飲食店は、流行ばかりを追う店が多いように思います。また、居酒屋の名店がどんどん少なくなってきていて、「お店の体(てい)を保っていないんじゃないか」と思うようななんちゃって居酒屋が増えているような気がします。

そのような状況の中でも、樽一はホンモノを提供し続ける王道を貫き通していきたいと考えています。「浦霞」、「鯨」、「三陸の海の幸」の三本柱を守り続け、商品の一品一品を磨いて、50年という歴史にあぐらをかくことなく老舗居酒屋として突っ走っていきたいですね。



― 今後のビジョンや展望を教えてください。

新宿を拠点に日本で一番の居酒屋を目指していきたいと思っています。新宿は日本一のターミナル駅じゃないですか。だからそこで一番になれれば、東京でもトップとれるんじゃないかと思っているんです。
日本一と言ってもピンとは来ないので、新宿といえば樽一という感じに、まずは足元で一番になろうということです。
組織が固まってきたことで人が育つ環境ができてきたので、次のステージを用意してあげたいという思いで新しく新宿三丁目店をオープンさせました。飲食店ってただ美味しいものを食べに行くだけではなくて、結局は人に会いに行くわけじゃないですか。だからお店づくりは人づくりに直結しているというのが私の考えです。

新宿三丁目店に行ったスタッフが、「お客さんが来るのは当たり前じゃないと身に沁みました」と言っていました。暇な時でも140席中50~60人はお客さんが来てくださっている新宿店にいると感覚が麻痺してくるんです。言葉で言っても伝わりにくいのですが、お客さんが来てくれることが当り前のことじゃないということを実感してもらうことも私の狙いの一つです。
店舗の数を増やすことは目的ではありません。人材の成長に合わせた次のステージがなければ成長し続けることは難しいと思うんです。仮に社長である私が引退したとしても樽一が成立するように、人を育てる場としての店舗づくりをしていきたいですね。

樽一に関わって良かったと、お客さんもスタッフも取引先からもそう思っていただけるように、これからももっと精進していきたいと思っています。


<社長プロフィール>
・佐藤 慎太郎(さとう しんたろう)※ニックネームは「しんちゃん」
・1971年生まれ
・東京都豊島区大塚出身
・1993年入社
・2003年より現職
・2代目
・趣味:ブラスバンド

<会社プロフィール>
・株式会社ネオユニバース
・業種:飲食店
・従業員:30名
・創業:1968年

株式会社ネオユニバース(http://www.neouniverse.tokyo/)
新宿居酒屋「樽一」(http://www.sinjyuku-taruichi.co.jp/)

創業時からの想い 
 食は理屈ではない
 人間の存在そのものである
 そしてその民族の文化である

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