受け継いできた技術はそのままに、"型"にはまらないプロ集団カンパニーの挑戦。


モールドメーカー株式会社カミジョー
代表取締役社長 上條 眞徳



では最初に、自己紹介をお願いいたします。

はい。モールドメーカー株式会社カミジョーの代表取締役 上條眞徳と申します。当社はモールドメーカーという立ち位置で、これは馴染みのない言葉だと思うのですが、男の子向けではウルトラマンや仮面ライダー、女の子向けではリカちゃん人形といった、手足が動かせるソフトビニールのおもちゃ、それを加工する金型を作っている会社です。

当社は、金型の製造業になるのですが、金型といっても割と特殊な分野をやっていまして、銅メッキの技術を応用した銅電機鋳造という技術で金型を作っています。電鋳と呼ばれているもので銅を使っている会社は、今では本当に少ないんです。ニッケル電鋳というものもありまして、そちらは大型の物とか自動車の部品を加工するために使われているのですが、銅電鋳、ニッケル電鋳使って、このソフトビニールを成型するための型作りをやっている会社は、関東では当社を含めて3軒くらいしかないと思います。

3Dプリンタというものがありますが、造形という分野ではコンピュータを使って、手早く正確にやっていくのが今の主流なんです。当社がやっていることは、職人芸であり、アナログ。時代に逆行しているようなものなのですが、そこが特長になっています。アナログ的な手法で作った製品って、手づくりのあたたかみが残るんです。手づくりの感じが残ったものをいくつも作れるという利点が、多様性の時代のニーズにはまって、支持いただけているのかなと思っています。


会社の歴史が長いとお聞きしました。

そうですね。私が5代目になります。創業は明治時代です。あまりに古くて正確な資料が残っていないんですよ。私の曽祖父が書き残してくれた資料とか、祖父とか書き残してくれた資料とか、あとは聞いた話をまとめると、おそらく明治40年頃に創業していると予想したものをホームページで発表しています。

始まりは、彫金という鏨(たがね)を使った美術工芸品づくりだったようです。昔はキセルというものがありましたが、キセルの金属部分にいろんな模様を彫ったり、タバコ入れの根付けとして銀細工の十二支を作ったり。そういう仕事をしていたように記録されています。

転換期となったのは、セルロイドという材料が海外から入ってきたことですね。セルロイドを加工するための型が作れないかと、ちょっと有名なメーカーから依頼がきたようで、五代前のおじいさんが、セルロイドの型作りを始めました。そのセルロイドの型というのは真鍮製の鋳物なんです。鋳物というのは砂型に溶かした金属を流して型通りにモノをつくることなのですが、表面がザラザラで模様が消えやすいんです。そこで、鏨を使って彫り直して模様をはっきり出すために声がかかり、彫金時代の技術がセルロイドの型作りに活かされました。その後、セルロイドの需要が高まったこともあり、セルロイドの金型作りに事業の軸を移していったそうです。

ところが、セルロイド需要に陰りが見え始めます。理由は、セルロイドの非常に燃えやすい特徴にありました。あの時代、デパートのおもちゃ売場には、セルロイド製のおもちゃがたくさん並んでいたのですが、ちょっとした電気のショートの火花によってセルロイド製の人形が次々と燃えてしまい、おもちゃ売り場が激しく燃えるという事件が起こりました。それで、「セルロイドは危険」という風潮が高まってしまったんですね。

代替素材として、塩化ビニルが登場しました。塩化ビニルでもセルロイドの型が使えないことはないのですが、型の構造の違いのため、パーティングライン*にバリがどうしても発生してしまうんですね。それが目立たなくなる方法として銅電機鋳造というメッキで型を作る技術がアメリカから入ってきました。「じゃあ、次はこの技術でやってこう」ということで、今のカミジョーの事業の基盤ができたという歴史があります。

*バリ…(樹脂や金属の加工時に発生する不要な突起物)

*パーティングライン…(鋳造や射出成型などによって製作されたものに発生する出っ張り)


上條社長は、この家業とどう接した幼少期を送られたのですか?

住まいと工場が本当に近かったので、子どもの頃から工場の中に入って、職人さんたちの仕事を間近で見ていましたね。祖父と父が仕事終わりに飲むお酒は、私が近くの酒屋におつかいに行っていたのですが、そこでは工場で働いている職人さんたちも飲んでいて、酔っ払った職人さんたちから「お使いするなんて偉いなぁ」なんて声かけてもらったりしていて。ものづくりや製造環境にふれてきた日々を送っていたと思います。

祖父は、「私に会社を継いでもらいたい」という思いがあったようですね。祖父が考えた「健康十句」というものがありまして。これは商売をする上で大切な道徳のようなものなのですが、「これをすべて覚えたら小遣い1万円やる」なんて言って。子どもにとって大金じゃないですか。必死に覚えましたよ(笑)。今でも空で言えます。子どもの頃はピンとこなかったのですが、大人になるにつれてい深く理解できるようになっていったと言いますか、いい教えだなぁと感じるようになりました。祖父は昔ながらの職人気質で、怖くて近寄りがたいんだけど、それは仕事に対してすごく真面目だったからなんだと今では思います。

父は、私に「会社を継げ」なんてひと言も言わない人で、「他にやりたいことがあればやればいい」と、私に自由な選択肢を与えてくれました。そのため私は、仕事に困らなさそうな土木科を専攻し、大学卒業後、コンクリートの橋の設計をやっている設計会社に入社しました。5年くらい働かせていただき、いろいろな経験をさせていただきましたね。


モールドメーカー株式会社カミジョーへの入社のキッカケは何だったのですか?

入社は2002年くらいですね。5年働いていると、いろいろ見えてくるものがあるじゃないですか。私の場合は、サラリーマンとしての仕事が自分には合わない、というのを感じていまして。ちょうどバブルの弾けた後で、公共事業も談合問題などで厳しくなっていて、仕事自体も少なくなっていきました。

一方、家業も安い中国のほうにお客さんが流れていって、いろいろと変えていかなければならないタイミングだったようです。父からは「最悪、会社を閉めるかもしれない」という話を聞いていて、だったら挑戦してみようと思い、入社することにしました。


入社してからは、どのような仕事をされていたのですか?

「立体の造形物を作る」ということが当社の型作りのスタートなので、そこをとにかく覚えろということで、その部門の仕事をずっとやっていました。粘土を立体の造形物にしていくんですけど、平面の正面図一枚だけから、奥行きだったり、横だったりっていうのを想像して作っていくというのが、けっこう難しくて。頭の中でイメージしながら作っていくっていうのが大変で(笑)。

元々、プラモデルを作ったりするのは好きだったので、いろいろ教わっていくうちに、「ああ、こうすればいいんだ」と分かるようになっていきました。でも、いざ作ってお客さんに見せると、お客さんのイメージしている物にはなってないことも多くて。洗礼というか、この仕事の奥深さを感じましたね。原型ができあがると、次にシリコンで型を取って蝋型っていうものを作るんですけど、そのシリコン型を取るところを一番年配だった職人さんに聞きながら教わっていきました。

ひと言でいうと、「職人としてのスキルを磨く仕事」をずっとやっていましたね。当社の仕事は技術職なので、やはりそこを知らないわけにはいかないと。「型を作る上で目を養う」というか、このときに学んだことは、経営に関わるようになってからも、大切なところだったなと思います。2002年に入社して、経営に関わる2009年まで、7~8年間はずっと現場の仕事をしていました。


経営に関わることになるキッカケはありましたか?

キッカケは父が倒れてしまったことですね。脳梗塞でした。そこで急きょ、今まで父がすべてやっていた見積もりとか対外的な応対など、いわゆる社長業を私が代理でやることになりました。

ありがたいことに、父は右半身だけの麻痺で命は助かりました。仕事が終わると病院に行って、こういうお客さんのこういう仕事がある、どういうふうに見積もり出したらいいのかとか、この作業の単価はどうなっているのかとか、1つひとつ父に聞きだして、計算をしては見積もりを出すみたいなことをやっていました。

先にお話した通り、父は私に「家業を継げ」とはひと言も言わない人でした。でも、自分が倒れて何もできなくなり、社長代理を務める私の働きぶりを見て、会社としていつまでも社長不在でいる影響のことも考えたようです。それで、私に代を継がせることを本気で考え始めたようで、ようやく事業承継の話が出てくるようになりました。そこからは少しずつ話を進めていき、2014年6月に代表取締役として正式に会社を継ぎました。


引き継いだものを大切にしつつ、変えていったところはありますか?

ありますね。実は私は、社内のコミュニケーション不足がずっと気になっていたんです。工程に応じて部門が分かれているのですが、伝達不足でやり直しになるといったことがよく起きていたんです。これは当事者の意識から変えていかないといけない問題なんですよ。「自分の部門の仕事だけやっていればいい」ではなく、全体を考えていくといった意識ですね。

職人さん同士だと話すのが苦手ということもあるので、まずは私が双方の意見を聞いて、落としどころを探す…といったパイプ役をやっていました。私を入れて6名で仕事を回しているのですが、上は70代、下は20代なので、円滑にコミュニケーションを進めるには、手間がかかるのですが、こういう方法から始めるしかなかったんです。

私の弟や20代の社員も社内のコミュニケーション不足は大きな問題と感じてくれています。技術を継承していくには若い人を採用しなければいけませんが、新しい人を入れたとしても、昔ながらの「見て盗め」といった職人気質な職場では、何をすればいいか分からないし、やる気も起こらないだろうと、目標や課題を設定してひとつずつクリアしていくことを行っています。また、私と同じ課題意識を持ってくれるようになるべく想いを伝えること、社員一同それに応えようと協力してくれています。


最後に、これからの展望について教えてください。

当社は金型を作ることは一貫してやっていますが、型から成型をすることはやっていません。この成型という部分を導入することで、おそらく型の技術にも繋がってくると思うので、成型のできる設備を整えて、成型まで行うことのできる体制を作っていきたいという思いがあります。

業界全体の流れを見ていると、割安で似たようなものが作れてしまう中国は、相変わらず脅威です。だから、日本の金型業界全体を見る視点で、協力し合うことが必要なんじゃないかと考えています。依頼に対して当社でできないからとただ断るのではなく、できる技術や設備を持っている会社を紹介するとか。そういった横のつながりを大切にして、この分野の未来を、みんなで創っていけたらいいですね。実験的な取り組みとして、同業さんや興味がある人を巻き込んだワークショップを開催したりしています。将来的には学校みたいなものを作れたら面白いですね。

これからやっていくことのテーマは「挑戦」です。私たちの仕事は受注生産が基本ですが、今は仕事を待っている時代じゃないと考えを改めました。自分たちで作っていく行動が必要だと感じ、自社製品の開発にも取り組み始めました。

それから、今、海外の人の認識がソフトビニールも高まっているんです。中国では加工ができる工場もあるのですが、金型までというのは難しい。なので、金型は当社が作る、成型はそちらで、といった協力体制を国境を越えて構築できないか模索しています。世界に目を向けた大きな目標なのですが、実現できれば楽しいことになるんじゃないでしょうか。日本の技術を世界で活かしていく。そんな未来を創りたいです。




<インタビュー情報>

モールドメーカー株式会社カミジョー
代表取締役社長 上條 眞徳
会社ホームページ https://www.mm-kamijo.co.jp/

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