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「捨てられないものづくり×人に役立つものづくり」を実現するために


株式会社ミヨシ
代表取締役  杉山 耕治



はじめに、株式会社ミヨシについて教えてください。

株式会社ミヨシは、プラスチック射出成形金型製作、射出成形、治工具製作を行なっている会社です。得意としているのは、プラスチックの試作品と、小ロットの製作ですね。主に手掛けているものは、自動車部品・OA機器・AV機器・コネクタ・ワイヤーハーネス、搬送機器などの成形品の製作・開発、研究用の金型、治具類の製作、製品設計補助などになります。

従業員数は19名(内パート8名)。企業理念は、「人類と地球の関係を考え、人の役に立つものづくりを行う」。この理念には、「人工的に作る物は、私たちが豊かな生活をするためには欠かせないものではあるものの、一方で地球の資源との関係性を考えていかなければならない。先人たちが培った技術に敬意を払い、ものづくりにたずさわるにあたり人類と地球の関係を考え、人類がより良い発展ができる手伝いをしたい」という思いが込められています。



それでは、創業からの歴史について教えてください。

創業者である父が前身の杉山彫刻を立ち上げたのが1972年。彫刻機を使いながら、モックアップの試作品を作っていました。最初は自動車のエンブレムや文字彫刻、カタログ撮影用のモックアップ品などを作っていたと聞いています。

1982年、有限会社三善工業を設立。自動車のワイヤーハーネスやジャンクションボックスといわれる電装部品の試作品開発を手がけ始めました。この頃になると、一品物ではなく、評価試験用に少量生産が必要になってきたため、早く安く小ロットで型を作れないか模索しました。この時期に当時はあまり事例がなかったアルミでの金型製作技術を確立していきました。

1984年、工場が手狭になってきたため工場を移転し、1986年に現在社屋のある葛飾区西新小岩に移動。その頃から、だんだんと仕事と人員も増えてきて、大手企業やその子会社と共同で仕事をしていく今の業態になりました。バブル期だったので売上もどんどん上がっていったのですが、1997年をピークに下降の一途を辿っていきます。



そのような中で、杉山社長が入社されたのですね。

2003年に、私が入社しました。当時は、金型を作る職人が3人しかいなくて、私が入社して1年で金型課長が退職してしまい、難易度の高い金型製作は社外に頼らざるを得ない状況でした。仕事は回っていましたが、この状況は今後の会社の発展を考えると危険だと思い、自分なりに金型の勉強をしていきました。

独学では限界があり近所の金型職人さんたちに、自分の作ったものを見せて、ダメ出しをもらいながら技術的なことを教えてもらっていたんです。作った物を見せに行くと、「ここがダメだ」と言ってくれるので、「何でダメですか?」と聞くと、「こうしたらいいよ」と教えてくれて、次はその通りやって見せに行くという感じで(笑)。最初は冷たい対応だったんですけど、見てもらう回数を重ねるうちにに色々教えてくれるようになりました。

2007年、だんだんと社内でマネジメントできるようになってきて、社内の技術も上がってきたんですよ。この年は私が入ってから売上が一番良くて、景気も良かったんです。しかし、2008年のリーマンショックによってほとんど仕事が無くなってしまいました。このままでは会社が倒産すると思い、現場作業だけでなく営業活動も行うようになりました。ただ、飛び込みで営業をしてもすぐに仕事に繋がる業界ではないため、人の繋がりをつくりたくてSNSの活用や、色々なイベントに参加して交流の機会を増やしていきました。この年の12月に専務取締役に就任しました。

2007年には売上が2億4000万円程ありましたが、2010年には8000万円台まで落ちてしまいました。仕事が減り売上は下がっても、人員はそのままだったのため人件費の支出は大きく、借り入れが増えてしまったんです。この年に、当事代表だった父に「代表を交代しましょう」と話をしました。それなりに借金があったので、このままでは借金を減らすのは難しいと感じていました。いつ事業承継しても借金はあり、これから自分が会社を経営するのであれば、先代が元気なうちに事業承継を行い、経営者としての経験を積んで立て直しをしたいという思いがあったからです。タイミングとしては経営状況が悪い時だからこそ代表を譲りやすいと思い、この時に申し入れしました。

2011年になって、売上は若干戻ります。回復基調でしたが、東日本大震災の影響もあってなかなか思うように前に進めませんでした。2012年は、売上も回復していき12月に代表交代をしました。そして現在に至ります。



企業理念は、杉山社長が作られたのですか?

大きな目標がないと会社の方向性が分からないので、企業理念は代表になる前から作りたいと思っていました。絶対ブレない何かを作りたいと思い、それが企業理念だったんです。その理念が生まれる経緯は、私の前職での経験が大きいと思っています。

ミヨシに入る前、私は造船会社でごみ処理施設のプラントの現場監督に従事していました。補修工事の監督として色々な現場に行き、大量のごみが処理される現場を見ていました。ごみの量について言うと、例えば東京都の場合、1人あたり1日約800gのごみを出しています。1人分だと大した量ではありませんが、長い年月をかけて1000万人が1日に800gのごみを出し続けたら大変なことになります。高度経済成長期の大量生産大量消費の時代に比べると現在はごみの量が減ってきていますが、ここ数年はごみの量が減るペースは緩くなってきています。ものづくりは豊かな生活には欠かせませんが、地球の資源を使ってごみを増やしていくようでは後世に申し訳ない。

日本はごみを燃やす文化が発展しているため、使い捨てにたいしてあまり罪悪感がないのかもしれません。その焼却施設は世界の7割が日本にあるって言われています。燃やして灰にしてしまえば容積は減りますし、原形がなくなるのでごみがなくなったように錯覚してしまいますが実際には燃やせないごみもあります。焼却施設の建設やメンテナンスには資源や労力を要しますし、燃焼運転時には化石燃料などエネルギーも使います。少しデータが古いかもしれませんが、エネルギーに関しても、日本の消費量は世界第4位。それなのにエネルギーの自給率は8%しかない。そんな国がどんどん大量生産して大量消費してライフサイクルの短い物を作り続けていたらいつか必ず成り立たなくなると考えています。

私たちの会社はものづくりで社会に貢献しているので、なるべく環境に配慮したものを作らなければいけないと思い、企業理念を、「捨てられないものづくり」と「人の役に立つものづくり」の二つを掲げています。この二つの理念を達成するためには、長く使えたり機能が満たされて人の役に立つものを作れるようになる、そのために、私たちは常に技術とサービスを研鑽していく必要があります。新しいことに挑戦できるだけの高い技術力を構築してくことと大切に長く使いたくなるデザイン性、これから世の中が必要とするものを見極めて、求められるサービスや製品を提供していこうという意志を、ここには込めています。​​​​​​​



ものづくり系のベンチャー企業と一緒に様々な取り組みをされていますよね?

ベンチャー企業は今の社会に必要だと思うものやサービスを見つけたからこそ起業しています。私たちは、これから人類が進化していくために必要だと考えた事業内容の会社を中心に一緒にお仕事しています。日本のものづくりは何もしなければ衰退していくと思っています。なぜなら、現在の中小企業の経営者の年齢層は徐々に上がってきています。70代になっても後継者がいない会社も耳にしており、高い技術や良いサービスを提供している会社であっても廃業が進んでいく恐れがあります。今後の中小企業は今いる中堅・若手の経営者が先輩たちからバトンを受けて、産業を盛り上げていき、日本を支えていかなければなりません。ベンチャー企業も日本経済発展には欠かせませんが、これからものを作る段階で、国内の企業に頼めないとなったら、海外の企業にお願いせざるを得ません。海外を頼れば海外の産業が発展し、日本の企業は競争力を失っていき、負のスパイラルに陥ってしまうので、今の段階で私たちが何とかしなければいけないと考えています。

私たちは中小企業ですけど、高い技術力を持っている大手企業と一緒に仕事をして、様々な経験をしてきました。経験や失敗を越えて得られる生産に関わるノウハウは一朝一夕では得られません。そこで、企業規模は小さくても、生産に関わるノウハウを持っている私たちであれば、これから何かを作りたいと思うベンチャー企業の手助けができると考え、色々なベンチャー企業と一緒に取り組みを進めています。


(ベンチャー企業と共同開発した「RAPIRO:左」と「Resiina:右」)


杉山社長はどのような学生時代を過ごしましたか?

学生時代どうしようもなかったですね(笑)。高校生の時はバイトばっかりやっていて、稼いだお金をスノーボードにばかり使っていました。何のために勉強をするのか目的が見つけられず、成績も悪く、下から数えた方が早かったんです。

大学生になってもやっぱりアルバイトばかりやっていたんですけど、環境に関する授業があり、そこで環境に関して興味を持ち始めました。さらに、内燃機関という、エンジンなどの燃焼系の科目を受講した際に、「すごくおもしろいな」と思い、そこから勉強するようになったんです。学生の本分に気付くのがかなり遅かったんです。

就職活動する時に、私は焼却施設の運営、開発、研究をやっているところに入りたいと思い、三造環境エンジニアリングに就職しました。

今思うと、大学の授業の影響だけでなく、雪山に行ったり海に行ったりと学生時代から自然に触れることが多かったので、自然界に存在するごみをただ捨てるのではなくエネルギーとして再利用できるようにしたいと思っていたことも「環境」に興味を持った動機の一つかもしれませんね。



杉山社長の会社経営の考え方について教えてください。

先代の影響が全くないというと嘘になりますけど、事業承継する時は、先代と同じようなことをしていては上手く行かないと思ってます。なぜなら、会社が設立した時は、需要があると思われるものを考えて創業しているので、起業したての時期は事業に需要があって当たり前なんです。

ただ、事業承継する時も創業時と同じ状態とは限りません。上り調子が終わって、需要が減っていたり、同じサービスをする会社が飽和状態になったところで事業承継のタイミングになることもあります。だから、今の時代に必要とされるものを見つけて、事業内容の見直しや、工夫を重ねて何とかしなければいけないというのは、どこの会社もみんな事業承継時にあることだと思います。

なので、同じようなやり方を何も考えずに続けていてはダメだなと考えています。今までのやり方も大切ですが、違うアプローチでやってみたら結果どうなるんだろう?というのを常に意識してやってきました。

ベンチャー企業と取引するのも、利益にならないのは分かっているんです。会社の理念が利益を出すことだけならばやるべきではないのですが、会社の理念は利益追求型ではありません。社会に役に立つことをやりなさい、というのがウチの理念なので。ただ約束事として、赤字は出さないと決めています。



最後に、今後の展望について教えてください。

今後の事業展開は、読めないんですよね、本当に。ただ、「捨てられないものづくり」と「人の役に立つものづくり」を企業理念として掲げている以上は、加工に関しては何が必要とされるかというのを見極めること、そして、その技術力を構築し品質を向上させるということが必要不可欠だと考えています。

最近では色々な業界で不正があって、技術者の倫理観がどんどんと低下している中で、私たちは倫理観を持って仕事をしなければいけないですし、品質に対してもレベルを上げていかないと、「何のためにものづくりしているのか?」ということを疑われるようになってしまうんです。

入社してから私は色々な方から技術を教わってきました。その中で、「技術が次につながっている」と感じます。今ある技術は人類が進化する過程で長い年月を経て存在するもので、先人たちがつなげてくれた技術に敬意を払わずして技術の進化はないと感じるようになってきました。ですので、私たちも次の世代にバトンを渡せるよう企業理念に沿い、しっかり技術継承をしていかなければならないと考えています。

私は、技術系の国家資格「技術士(機械部門)」も2012年に取得しました。この資格は独占業務があるわけではありませんが、取得の過程で得られた知識は非常に有益でしたし、同じ技術士の仲間とのディスカッションや勉強会は非常に有意義なので、自分を成長させるためにも取得してよかったと感じています。

品質管理検定というのがありますが、社員からの提案で2019年は品質管理検定を何級でもいいから社員全員受験することになりました。受験費用と教材費用は会社が出します。もし全員が受かった場合、全員に金一封出します、というもの。社長も例外ではなく、私も受けるんですけどね。このような理念に繋がる取り組みはこれからも進んで行なっていきたいと考えています。




<インタビュー情報>

株式会社ミヨシ
代表取締役  杉山 耕治
会社ホームページ http://www.miyoshi-mf.co.jp/

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