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チャレンジし続けることが継続企業への道

宮澤商事株式会社
代表取締役 宮澤 伸英


創業から現在に至るまでの変遷について教えてください

宮澤商事は昭和29年に設立した鉄鋼の小売企業です。曽祖父が賃貸業、不動産業、鉄鋼業など多角的な商売をしており、長男だった祖父が鉄鋼業を引き継いで創業したと聞いています。数多くある事業の中で鉄鋼業を選んだのは、時代が変わったとしても鉄の市場は尽きることがないだろうという思いがあったようです。

会社を設立した当時は建築や自動車製造ラッシュで、トヨタをはじめ鉄を使う産業がどんどん発展していく時代だったこともあり、需要の高まりを受けて成長を続けてきました。戦後の復興に合わせて会社は大きくなっていきましたが、人材を集めるのには相当苦労したようです。社食のような形で食事を社員に提供して何とか人を集めたという苦労話を聞かされたこともあります。

祖父は真面目な性格で社員を思いやる気持ちが強い方でした。その真面目さと人に対する優しさが会社を成長させてきたのだと思っています。また、二代目を継いだ私の父も、バブル期という時代の後押しを受けて祖父から受け継いだ会社を着実に成長させてきました。会社の基盤を築いてくれた祖父と父は経営者として本当に尊敬しています。



宮澤商事の特徴・強みを教えてください。

三代目として私が継いだ現在では、建築物や自動車などに使われている様々な鉄鋼製品を取り扱っているのですが、その中でも鋼管・パイプ商品に注力しています。売上げ的にもパイプが約6割程度を占めていますね。

鋼材であれば何でも取り扱うようなビジネススタイルでは、価格競争になり薄利多売にならざるを得ません。そういったビジネスでは苦労の割に得るものが少ないため、他社にはない宮澤商事ならではの強みは何かと考えた結果、パイプに特化することを決めたんです。

パイプは数千~数万種類あり、全て把握して商品を提供するのはなかなか困難なことです。幅広く鋼材を扱っている他社ではせいぜい数十種類だと思います。宮澤商事では何万種類もある中からお客様が求めているパイプを探し出すこと、なければ近い商品を提案すること、この二つに力を入れています。

また、協力工場と提携して切断や穴開けなどレーザー加工も請け負っていることや、ZAM®(ザム)という高耐食めっき鋼版をいち早く導入して販売していることも特徴として挙げられます。

ZAM®は日新製鋼の特許商品で、鉄の商品としては非常に錆びにくい性質を持っています。ただ、まだ社会的な認知度が高くなく商品回転率が低いため、在庫している会社はあまり多くありません。ZAM®はパイプと同じように取り扱いが難しい部類に入るのですが、逆にそこに注目して宮澤商事では在庫販売を行っているんです。



幼少期から学生時代にかけてはどのように過ごされましたか?

小学校の頃、4年間担任を受け持ってくださった先生に、楽しみながら努力する楽しさを教えてもらったことを覚えています。物事を楽しまなければ努力はできない、どうやって楽しんで真剣に取り組むかといった発想の切り替え方を教わったんです。

それが今のビジネスの上でも役に立っていて、ピンチに直面したときに如何にマイナスな感情をプラスに持っていけるかという考え方をするようにしています。小学校生活の中の4年間で担任の先生に教わったことが今でも自分の基盤になっていますね。

小さい頃から父や祖父から「将来はお前が継ぐんだから」と言われ続けてきたので、宮澤商事を継ぐことは当たり前のこととして自然に受け入れていました。継ぐためには何をしたらいいか?しか考えてこなかったように思います。

小学生の時に朝早くから祖父のジョギングに付き合わされて、「仕事は真面目にやらなければならない」とか「けじめをつけることは大事なんだ」といった経営哲学のような話をよく聞かされていました。その当時は言葉の意味を完全に理解できてはいませんでしたが、今になって、こういうことなのかなって思うことが多々あるんです。

初代の祖父や二代目である父の考え方に直に触れられる環境で育ててもらえたことが、私の中で大きな財産になっています。

宮澤商事に入社された経緯を教えてください。

大学を卒業後、最初に就職したのは宮澤商事ではなく、父に勧められたパイプ問屋で4年間働かせてもらいました。そこで運良くパイプの神様と呼ばれるくらい有名な方がいらっしゃって、その方にパイプのイロハを教わることができたんです。

その出会いがなければ今の宮澤商事のビジネスはなかったかもしれません。その会社で4年間パイプの知識を身に着けさせてもらい、自分の実力が試したくなったため1998年、25歳の時に宮澤商事に戻ってくることになりました。

入社してからは、父に「営業を助けてほしい」と言われていたため、業種に拘らず鉄を使いそうな企業をリスト化して地区順に並べ、片っ端から新規開拓の営業に取り組みました。お客様の数を如何に増やすかだけを考えていましたね。

その頃はまだ鋼管・パイプに特化することは考えておらず、鋼材に関わる全ての仕事を取ってやろうという気持ちで営業をしていたのですが、新規のお客様が増えていく反面、他社の巻き返しにあうことも多く、取って取られてということを繰り返しているような状況でした。

その経験から他社と同じ土俵で戦うのではなく、宮澤商事としての強みを発揮できるビジネスをしなければならないと考え、前職で学んだ知識を活かして、付加価値の高いパイプ商品に注力していくことになったんです。

今思えば、チャレンジ精神を持って飛び込み営業の新規開拓をしてきたことが、自社の強みを見つめ直すキッカケになりました。チャレンジしたことで良いところと悪いところを見分けることができ、良いところだけに力を注ぐことができたんです。その機会をくれたのが私に営業を任せてくれた先代の父だったと思っています。



三代目に就任してからどのような課題に直面されましたか?

父から経営を引き継ぎ三代目社長に就任したのが2008年、35歳の時でした。引き継ぐ前から帳簿から金銭出納帳、元帳、給与計算、採用、営業と一通りやらせてもらっていたため完全に任されても大丈夫だという自信はありましたが、会社の代表として全責任を負う立場になることへの不安はもちろんありました。

父からは「自分に頼らず会社を運営できるか?」という話をされて最初は悩んだのですが、自分はこれまでパイプ問屋で正しい知識を学んできたし、入社してからも正しい営業の努力をしてきた、だから父の力を借りずにチャレンジしてみようと思い、そのタイミングで引き継ぐことを決めました。

就任してから、リーマンショックと東日本大震災と立て続けに二つの大きな危機に直面することになります。今から思えば、その大きな二つの不況を若い時に経験できたため、若さと勢いで何とか乗り越えられたんだと思います。会社の売上げは大きく落ち込みましたが、「何を!やってやる!」という情熱がメラメラ燃えていましたから(笑)。

リーマンショックの影響で大きく落ち込んだ売上げを、朝早くから夜遅くまで地道にコツコツ営業をして何とか盛り返していったところで、また東日本大震災で大幅に落ち込み、もう一度奮起して盛り返していきました。営業とチェレンジ精神で少しずつピンチを乗り越えて業績を回復させていったんです。



就任直後の危機を若さとチャレンジ精神で乗り越えられたのですね。

若かったがゆえのチャレンジ精神が裏目に出てしまったこともありました。落ち込んだ業績の回復に努めている時、SPAC(スパック)工法という特許技術を使った耐震補強の仕事が舞い込んできたんです。

ウチは基本的に小口の案件をコツコツ地道にというスタイルなのですが、SPAC工法での耐震補強の仕事はある程度利幅が大きく、落ち込んだ業績を一気に回復させたかったウチとしては願ったりかなったりの仕事でした。数年間は耐震の仕事に没頭していきましたね。

ただ、耐震の仕事は継続的なものではなく、一つの物件が終わったらなくなってしまう波が激しい単発の仕事でした。言うならば大きな一発を狙うようなビジネスだったんです。それに加えて、次から次へと耐震の仕事が来るような状況で、深夜の搬入業務などウチの人員では対応しきれなくなってきました。

耐震の仕事はなくなってしまえば終わりなので、安易に人員を増やすこともできません。増員できないため耐震以外の一般の仕事にも影響が生じており、配送・搬入を担当するドライバーにも負担を強いてしまうような状況になってしまいました。

配送で寝不足によって事故を起こすようなことがあったら元も子もないと考え、耐震補強の仕事は長続きさせるべきではないという結論を下しました。そこで、営業をもう一度見直して、既存のお客様を大切にしていこうという方向に切り替えたんです。


三代目として変えるべきところと変えてはいけないところは何だと思いますか?

先々代の祖父の時代から、一つの業種に偏らず幅広く販売をするという鉄則を守り続けています。業界や業種を絞ってしまうと浮き沈みが激しいため、鉄を使う企業であれば選り好みをしないでお付き合いさせていただく基本的な姿勢は今後も変わらずに続けていきたいですね。

業種に拘らない代わりに小ロット・短納期の仕事をお引き受けするのが宮澤商事のスタイルです。大口のビジネスが中心になると有事のときに経営が一気に傾いてしまうため、創業期から小口のお客様を中心にやってきました。一時は利幅の大きい耐震の仕事に傾いたこともありましたが、やはりこの小ロット・短納期というスタイルが宮澤商事の原点です。

小ロット・短納期を実践するために、小型~中型のトラックを7台所有しています。走りづらい細い道にも小さいトラックであれば入っていけるため、素早くお客様に鋼材をお届け出来る配送体制を構築しているんです。埼玉エリアや大田区エリアなど小さいトラックでしか搬入できない地域はいくつもあるため、そういったところの需要にキッチリ対応していきたいと考えています。

また、宮澤商事では仕入先企業に翌15日に現金で代金をお支払いさせていただくことをずっと続けてきています。要するに支払いのサイトが短いんです。何千万円だろうが翌月には現金でお支払いするため、余裕を持って対応できるよう資金繰りは常に工夫しています。基本的なことですが、仕入先との信用・信頼関係を構築してきたことで今の宮澤商事があると思っているので、これだけは絶対に変えてはいけないと思っています。

逆に言えば、信用・信頼に関わること以外のこと、たとえば取り扱い商品などは時代に合わせてどんどん変えていかなければなりません。新しいことにチャレンジしていかなければ会社を継続させていくことはできないからです。



今後の展望を教えてください。

今後の展望として考えていることの一つがZAM®の全国展開です。現在は東京、埼玉にしかテリトリーがないのですが、ZAM®の小売販売によって全国展開していくことで会社としてステップアップしていきたいと考えています。

もう一つが「パイプの窓口」になること。保険の窓口のように、パイプのことは宮澤商事に問い合わせをすれば間違いないと思っていただけるよう認知度を高めていきたいんです。

ZAM®とパイプの二つの切り口で全国的に事業を展開し、リニューアルしたホームページで宮澤商事の強みを発信していくことで、6年後には売上げを倍にするという目標を掲げています。

この目標は私一人の力だけでは実現することはできません。私が持っている火を社員たちに渡していくことが必要です。そのため、営業会議を定期的に実施したり皆に仕事を受け渡していけるような取り組みを始めています。

組織で目標に向かって前進するため、営業マンの育成には一番力を入れています。営業に同行してまずはキッチリと正しい営業の仕方を示し、基本を理解した上で自分なりの色を出しなさいという指導をしているところです。

また、現在ナンバー2を務めてくれている弟と出荷の責任者である工場長には、トップである私の考え方を理解して把握しておいてほしいと考えているので、コミュニケーションは常に意識するようにしていますね。経営チームとして一体となって目標を実現してきたいと考えています。

思い返してみれば、これまで悩んだり、迷ったり、不安になったりする中で、自分の頭の中で会話を繰り返して問題と向き合いながらチャレンジし続けてきたおかげで今があるように思います。そして今後さらに会社を成長させていくためには、更にチャレンジを続けていかなければなりません。

今45歳なので、次の15年間で次世代に引き継ぐための経営ノウハウを確立させてたいと思っています。そのためにもチャレンジし続けることは避けては通れません。失敗して、反省して、成功して、伝えていく。これを繰り返していくことで、宮澤商事を世に言う100年企業を超える企業にしていきたいですね。
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<インタビュー情報>
宮澤商事株式会社
代表取締役 宮澤 伸英
会社ホームページ https://www.miyazawa-pipe.co.jp/

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