Original

車のかかりつけ医として、墨田区の移動を守り、新たな移動を作る

株式会社松田自動車整備工場
代表取締役 松田 翔



現在の事業内容について教えてください。

現在の事業として大きく分けますと、4つあります。1つ目が民間の車検事業です。2つ目が事故対応事業です。簡単にいうと鈑金塗装、外装の修理となります。3つ目が車の販売事業です。車両販売ですね。こちらは新車・中古車、特に制限なくというところです。4つ目が、2017年から始めたレンタカー事業です。車関連として、以上の4事業です。その他、細かいところですと、保険の代理店があります。年商は2017年が1億6000万程で、従業員数は役員2名含めて14名です。


創業からの事業展開を教えてください。

63年前に祖父が押上でマツダモータースという自動車整備会社を創業しました。車の整備という仕事は人間医療で例えると内科的処置ですね。機能的な部分の点検とか修理、あとはその車が公道で走っていいかどうかの点検をするようなことが整備事業です。そこが始まりですね。その後、場所は今の新社屋に移ってという辺りから、車両販売の方も始めていきました。一時期は日産のサブディーラーと呼ばれるような日産の代理店みたいなこともやっていました。整備として車両販売を伸ばしつつ、36年前に先代である父が鈑金塗装、事故対応部門を立ち上げました。祖父は2001年辺りに亡くなって、代替わりで父が2代目社長になりました。私が入社したのが2013年です。その2年後の2015年に父が亡くなりました。急死でした。そして少しずつ落ち着き始めた2年後の2017年に私の代でレンタカー事業等を始め、今に至ります。



創業以降での転機はどこにあったとお考えですか?

2代目の父の代で、鈑金塗装業を手掛けることができたのが、一つ大きな転機だったと思います。時代背景としてはバブル景気などもありましたが、過剰投資もしなかったので、事業自体なんとか順調だったと聞いています。そのような中、2代目は内科だけでなく、外科的なこともやらなくちゃいけないということで36年前に鈑金塗装事業を始めました。もともと整備という内科しかやっていなかった時に、外科的な外装の方のご依頼もいただいていたことがきっかけと聞いています。車検整備事業と鈑金塗装事業は、両者とも「自動車を直す」ことには変わりませんが、技術も知識も全く異なる分野です。その時は、頂いたご依頼を協力会社さんにお願いしていたのですが、実際に先代の2代目が外装を立ち上げるとなった際に、依頼していた会社の方から「一緒にやらせてくれないか」ということで一緒になって立ち上げたというのが2代目の鈑金塗装事業の始まりです。周りの方の支えがあってのことであり、会社にとっては非常に大きな出来事だったと思います。



ここまで順調にこられている中での会社の強みはどこにあると思われますか?

明確に自信を持ってお伝えできるのが技術ですね。具体的に申しますと、人間でいうとことの内科である車両整備と、人間でいうところの外科である鈑金塗装・事故対応の両方を扱える工場というのが墨田区内では弊社しかいないんですよ。他社さんでは受付窓口は持っているけれど、工場は協力会社さんであったり、地方に持っていたりとかという会社ばかりです。墨田区という下町の中で、ここまで近接したかたちで工場を持ってかつ高い技術力で自信を持ってお客様対応できるというところが弊社の強みになってます。お客様からしますと、メーカー問わず、新車旧車問わず、松田整備工場に任せればなんでも直ると思っていただけます。それを地域密着でやっていますので、ご安心いただけるのではないでしょうか。そういうことで、先代は「車のかかりつけ医」というキャッチコピーで業務展開しておりました。私はこの言葉が非常に気に入っています。



経営理念を教えてください。

一応、『私が移動を守り、新しい移動を作る。』と、掲げています。『私が』と入れたことに強い想いがあります。弊社は今までの流れとしてトップダウンの会社のイメージが非常に強かったんです。表に立つのは、いつもトップという状況でした。しかし、今の時代、職人さんだからお客様対応しなくていいというのがまったく通じませんよね。困っているお客様がいらっしゃった時には、作業を1回止めてでも、ちゃんとご挨拶をして、お客様が何に困っているかを自分から聞いて対応する。そのように各自が自分から動いていかないと、自動車業界ではこれから生き残っていけません。お客様に選んでもらえなくなりますからね。そのため、『私が』と強く自立を促すような言葉にしたかったんです。

『移動』ということに関してですが、車自体はやはり何かを運ぶためのものなんです。物・人、基本的にはこの2つです。例えば物に関しては、今はネット通販が当たり前になっていますが、物は勝手に届くわけではないですよね。そこでは自動車が使われていて、その自動車をお仕事に活用している方々がいるわけです。その車が止まってしまったら、その方は仕事ができなくなってしまい、生活に影響が出てくるかもしれません。そういった意味で物を運ぶためのものを守るということで重要ですよね。あとは、高齢者が非常に多くなった社会で、介護系の会社もたくさん増えてるかと思うんですけれど、それこそ車が壊れて送迎できなかっただけでも、一大事になります。付きっきりで介護されてるならいいですけれど、仕事等の他のこともある中で、様々なことにも支障が出てきてしまいます。ですから、そこをきちんと守っていこうよという想いがあります。それは、大きく言えば、家族を守ることになります。お客様の仕事や生活を考えながら、今、目の前にある何かしらの点検とか故障とか内装の修理を取り組んでいかないといけないということで、『移動を守ろう』という想いがあります。

『新しい移動を作る』というのは、お客様が車を使っている中で、例えば事故を起こしてしまったとします。車の前の部分をぶつけてしまった際に、弊社はもちろんそこは直すのですが、例えば直す際に1000円でも2000円でもいいのでバンパーポールという、ちょっと見やすくなるようなものをご提案させていいただくことがあります。お客様にとってプラスになる車に関する新しいご提案をさせていただくのです。お客様が今後ぶつからないようにするにはどうしたらいいのかという根本のご提案ですね。故障の時も同様です。どうして故障が起きたのか?乗り方なのか?環境なのか?とか、そこまで考えて、故障を直した後に、何をご提案できるのかということですね。お客様の普段の移動をちょっとずつ新しく変えていこうというような意味を理念に込めています。



ここからは少し方向転換をして、事業承継についてお聞きしたいと思います。まず、松田翔社長ご自身のことについて教えてください。子どもの頃に継ぐという意識はお持ちでしたか?

幼稚園から小学校低学年の時の文集に、『車屋さんになる』という言葉が書いてあるのをこの前発見し、自分でも『そうだったんだ』と思い返しました。ただ、小学校6年生とか中学生になってから、興味が大きくズレていったんですよ。当時、人生ゲームが流行っていて、お金が儲かるのは医者とか弁護士だとインプットされたんです。そこから、弁護士になりたいという夢が中学校くらいから出てきました。高校に入ってからは、今度は何も考えなくなってしまいました(笑)。大学は理系だったんですが、理系を選んだ理由も就職に困らなさそうだから程度です。実際に就職活動をする際には、そこでも明確にやりたいものというのがなかったんですけれど、よくある漠然と成長したいとか、何か事業をやってみたいなというのはなんとなく気持ちではありました。そこで色々な会社を見ることができる、特に人にフォーカスを当てた中途採用支援をしている会社に入りました。3年半ほどいましたね。リーマンショック後に入社して、しかも新規開拓の部署でしたのでかなり忙しく働いていました。そんな中で、ふと将来を考えた時に、なにか自分の目指す方向性と違うなと感じるようになったのです。そこで改めて、じゃあ私はどんな生き方をしたいかと考えた結果、家業が1番私の想像しやすい将来だったんです。そこで、私から「入らせてください」とお願いをしました。



入社後のお仕事のこと、先代であるお父様とのご関係の変化についてお聞かせください。

仕事を全て覚えたいという気持ちがあり、まずは整備事業の方で現場をやりました。1年弱くらいですね。知識とか技術とかもゼロベースでのスタートです。その後、鈑金塗装の現場の仕事をやらせていただいて、それも1年ちょっとです。どちらも奥が深いので全然1人前にはなれていませんが上面を学びました。次にフロント業務ということで、見積り作成等の作業を先代に教えてもらいました。

父は、仕事とプライベートで、まったくイメージが違いました。プライベートではどうしようもない話はいくらでもよく喋る人だったんですが、真面目な話はあまりしないタイプでした。家ではまったく仕事の話はしませんでしたね。逆に、仕事中はとにかく真面目で、口数はとにかく少なかったです。

父の教育スタイルは放任主義だったんです。若い頃に夜遊びしてたらもちろん言うことは言いますけれど、ほかの家庭よりも全然緩かったです。好きなようにやれ。習い事もやりたいならやれと。自分で選択しなさいというのが父の方針でした。そこは仕事でも一緒でしたね。私の意思を尊重しながらやれというようなかたちで仕事をさせていただいていました。基本的に僕はガンガン色々なことを言う方なので、父が『どうだ。俺ここまでの会社にしたんだぞ』みたいなことは冗談交じりで言うと、『いや、全然ダメだよね』ということをズバッと言ってしまうんです。『ここ駄目、ここ駄目』と(笑)。父は、そこも受け入れてくれました。『もし変えられるんだったら、お前やってみろよ』みたいなかたちでやらせていただきました。そういう意味で、先代との確執は全くなかったです。非常にやりやすかったですね。また、仕事を始めてから、父が周りからとても慕われているんだということが分かりました。


 

実際に事業承継された時のことを教えてください。

父が突然亡くなってしまうところから始まりますね。休みの日で、私が資格の講習を受けていたところ、弟から電話を受けました。「警察から電話があって、お父さんが倒れた」という連絡が講習中に入ったんです。通常だと病院からなのに警察からっておかしいなと思い、急いで帰りました。話を聞くと心臓発作で亡くなってしまったというような話でした。そこから急に継ぐという形になってしまいました。いざ社長になると、様々な問題と直面しました。それまでそこに対面するのは社長である父で、私はそのための実務をやっていたに過ぎないということに気付きました。自分が解決するぞとまでは正直思えていなかったということです。「この問題、あれどうしよう、どうしよう」ということが一気にバーッと出てきました。その時は、整備の方を叔父が、専務としてやってくれていて、事故対応の鈑金塗装の方は父である社長がやっていました。社長が倒れてしまったので、鈑金塗装をまずは回すことが何よりやるべきことと位置づけました。鈑金塗装でお客様に迷惑を掛けないように先代の仕事はどういったものがあるのかをリストアップして、その仕事を覚えながらがむしゃらにさせていただきました。何の仕事があるのかという調査をし、その仕事をどう解決するか、前に進めるかを確認して、解決するために必要な情報とか連絡とか、それまで未経験のことを毎回0から10まで0から10までということを繰り返していました。


様々な問題や課題があり、一つひとつクリアされてきたと思いますが、一番大きな課題とそれに対しての具体的な取組みを教えていただけますか?

やはり人の問題ですね。いい人材に会社に居続けてもらうことです。会社としての大黒柱がいなくなった際に、当時は僕が1番下で皆さん年上なんです。平均年齢が45歳とかなので、そういった先輩もいる会社で代表させていただく中で、皆さんについてきてもらうためにはどうすべきかと考えると、成長はもちろんだけれどお客様からの評価を頂き、かつ本当に皆さんが引くぐらい私が働いて認めてもらうしかないと思いました。ですから、先ほど申しましたとおり、まずは仕事を見つけるところから始め、その仕事をきちんと終わらせて、ご入金いただけるまでとにかく必死に頑張りました。そういったところを率先してさせていただくことで、現場の皆さんも話も聞いてくれるようになってきました。

次にトップダウンの体質を変えようと取組みました。それまではトップに年上で前からいる職人としての先輩の社長がいましたが、今は経験も知識もなくて、かつ年下で、2年半前に入ってきたやつが社長としているわけです。そうすると、ある程度認めてはくれていても、例えば会社売り上げをキチンと落とさずに頑張ろうとか、お客様のために頑張ろうと100%考えてくれというのはやっぱり難しいんです。僕もグッと引っ張れるようなものがありませんでしたから。ただ、そこのマインドは変えていかなければいけないと思いました。それで本当に細かいところだったんですけれど、それまでお客様のことに関して、整備の場合はウチの専務で、鈑金塗装は社長しか把握できていなかったんですが、一覧表を作ったりして、全員で共有できるようにしました。そういった仕事の業務方法からちょっとずつちょっとずつ変えていきました。




様々な取組みをされてきて、今後も新たな展開をされると思いますが、最後に今後のビジョンなどを教えてください。

ビジョンを数値目標でいうと、2020年までに売上げ2億3000万を目指しています。また事業に関しては、弊社の既存の事業が今後爆発的に伸びるかというと正直厳しいと考えています。車に関して言いますと、墨田区の地域密着型でやっていく中で墨田区の車の保有台数が年々下がってきています。市場がどんどん小さくなってくるということです。そこで、新規事業の強化ということが今後の弊社のキーになると思います。

時代背景から車を持たない人が多くなってきているということなんです。マイカーを持っている人も手放し始めています。とはいえ車のニーズはあるのです。そういうことで、レンタカー事業を立ち上げたわけです。ちょうど先代の父が亡くなった翌年が申年だったんです。申、酉、犬と来ています。ある時に、神社の宮司さんから『松田さん大変ですね。でも今はいい年ですよ。申で考えて、酉で状況を改めて把握して、戌で実行する。3年間ですね』と。さらに2019年は猪の年です。土台は固まったので、猪突猛進でまっすぐ進んでいき、墨田区全域に広めていきたいです。墨田区で頑張っている整備工場をフランチャイズ化できるといいなと考えています。認証工場は、実はコンビニや歯医者さんと同じぐらいの数があるんです。認証工場に、有名フランチャイズのレンタカー会社よりも導入しやすいかたちでやっていきたいですね。

それと、車両のリースですね。リース自体はけっこう当たり前になってきているかと思います。車をシェアする時代じゃないですか。リースにも注力していきたいなと思っています。ただ、相手が金融会社とかメーカーになります。そこには太刀打ちできません。そこで、テーマは地域限定です。墨田区の松田自動車のリースだから、何か困ったらすぐ持ち込めばいというという使いやすさというところで優位性が生みたいと考えています。また、タイヤチェンジャーも事業化しましたので、こちらも利益がでる体制を作り、後々はレンタカー事業と一緒にして別会社として立ち上げたいです。





<インタビュー情報>
株式会社松田自動車整備工場
代表取締役 松田 翔
会社ホームページ http://matsuda-motors.com/index.html

この記事を読まれた方が他に読んでいる記事