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トラック、運送会社という枠を超え、次の時代に適したビジネスを生み出していく


丸進運輸株式会社
専務取締役  半田祐也



――はじめに、丸進運輸について教えてください

丸進運輸は父が作った会社です。当社の歴史は約50年におよび、今では、東は茨城県から西は中国・四国まで自社保有倉庫を構え、生活関連商品・食品輸送・精密機器・生花輸送とさまざまなモノの輸送に携わらせていただいています。

お客様から海外への取引のお手伝いもさせていただいており、建設・工事、環境衛生、自動車整備、外国人技能実習生の受け入れサポートなど、グループで幅広い事業を展開するまでなりました。当社の事業をひと言でいうと、「国際総合物流業」といったところです。

丸進運輸は、父がたった1人ではじめた会社です。最初はトラック1台でスタートしました。創業当時は運送会社からの下請け業務が中心だったそうですが、他の業者が敬遠するような仕事を進んで受注したことでメーカー様との直接取引が始まり、高度経済成長期の流れにも乗って、徐々に規模を大きくしていくことができました。

――これまでの歴史の中で、転機になったことはありますか

大きな転機となったのは、平成15年1月に丸進運輸の本社ビルを建てたことですね。場所は、兵庫県の伊丹です。これを機に、今まで営業所も駐車場も全部借り物でしたが自社所有の物件を増やしていくことになりました。広島、大阪、京都…、ウチのものではないのは長野と名古屋だけですね。

不動産を取得したことで何が変わったかというと、収入が増えました。どういうことなのか説明しますね。ウチは運送会社なので駐車場が必要なんです。これを借りていると駐車場代が発生します。トラックが動かなくても、必ず一定のお金がかかるわけです。でも自社で倉庫付きの駐車場を持つと、恒久的に駐車場代がいらなくなります。さらに、倉庫を持つことでお客様の荷物を保管することも、倉庫作業を自社で行なうこともできるようになり、倉庫代と作業代をいただけるようになりました。今まで払っていた分が逆に収入に変わるっていう、これはポイントだったと思いますね。

そしてもう1つ、国際事業部の設立ですね。これは平成16年8月です。国際事業部が何をやっているかというと、日本企業と海外企業との取引を円滑に進めるためのサービスです。日本のメーカーは中国の工場に商品を作らせているんですね。でも、まず先にお金を払わないといけないんですよ。そして出来上がるのは2~3ヵ月後で、その後、日本に運んで日本の百貨店に卸します。その百貨店で商品が売れてから入金になるまで、半年以上かかる。これがこれまでの流れでした。

ここに国際事業部がどう関わるかというと、中国に払うお金をウチが代わりに支払います。これによって、アパレルメーカーのキャッシュフローがだいぶ楽になるんです。うちとしては決済を代行しましたので手数料をもらいます。ただそれを払ってもお客さんとしてはキャッシュフローが大幅に短くなるのでメリットがあるんです。この挑戦は、完全に普通の運送会社から一歩抜け出した瞬間だったと思います。

他にも、自社給油設備を持っていたり、協同組合があったり、保険の代理店契約をしていたり、不動産業や建設業の許可を持っていたり。なかなか普通の運送会社ではできないことをやってきています。

――ここで少し話題を変えて、専務自身のことを教えていただけますか

私自身ずっと小さい時から「大きくなったら会社を継がなければいけない」って言われていました。父からはお前は強くならないとダメだといつも言われていました。

だから、小学校の時は水泳と空手をやっていました、中学はサッカー部に入って、高校はラグビー部です。大学からはテコンドーもやって。生粋の体育会系です。いろんなスポーツやってきたんで、普通の人よりは度胸はあると思います(笑)。

父から「経営者の教え」みたいなものを受けたことはありません。なので、自分としては運送業の下積みが必要だろうと考えていて、大学を出た後によその運送会社に就職しようと考えていました。

その時、父の近くにいた経営陣の方に言われたんです。「トラック1台乗って、なんぼの売上が上がると思う?」と。実際ですね、自分がトラック乗っても1人分の売上しか立たないんですね。そこで「お前はマネジメントとか経営をやっていかないといけないんだ」と言われました。そもそも物流会社の物流システムは遅れている、一番進んでいるのは商社や!!だからお前は「商社に行け」って言われました。

その発想は私になかったので、とりあえず合同説明会に参加して片っ端から商社を受けていきました、そしたら5社目ぐらいですぐに就職が決まりました。

でも、その会社は商社とは名ばかりで、浄水器の販売をやっている会社だったんです。かなり厳しい超ブラック会社でしたね。朝8時から朝の2時、3時まで、個人宅に毎日ピンポンする訪問販売です。体罰的な事も沢山ありました、スクワット1,200回やらされたり。新横浜の駅前で歌を歌わされたり、腕立て、腹筋、背筋、空気椅子をやらされたり、いろいろ目茶苦茶な会社でした。その時に思ったのは、この過酷な環境で浄水器が売れたらすごく自己成長すると思って働いていました。

1年間みっちり働いたので、今度こそ、他の運送会社に就職しようと考えて、転職活動をはじめました。ちょうどその頃、丸進運輸の広島営業所で大塚製薬と扶桑薬品の商品の共同配送の立ち上げの話がありました。父から「これからウチの会社の一つの柱になるかもしれへんから行ったらどうか」と打診をされました。いろいろ悩んだ結果、行くことに決めました。25歳になる直前の頃ですね。


――お父様の会社の一員になってからは、どうでしたか

「役職はいらない」って言ったんですけど、「役職がないとドライバーからずっと名前で呼び捨てにされると言う他の会社の2代目さんの話がでて、「常務」になりました。でも、常務は名刺の肩書に付いているだけで、事務作業、倉庫作業、荷物が溢れている時にはトラックに乗ってという具合に、現場で働いていました(笑)。

そのうち、立ち上げが落ち着いてくると、「広島営業所をもっと大きくしたい」という思いが強くなってきました。でも私は個人宅への営業経験こそありますが、法人営業の経験はありません。なので、丸進運輸の本社に行って、しばらく得意先を回りながら、法人営業の経験を積みました。

ある程度、法人営業経験が身についたので広島での法人営業もしながら本社にもいったりきたりしていました。本社にいる時間が増えた頃に、ある日父から「神戸営業所で営業所の管理を学んで来い」と言われました。

どうやら父は、私に現場の経験が足りないと感じていたようで、管理マネジメントを学ばせたかったようです。それが27頃です。神戸営業所には30歳までいました。その後、本社に戻って、以降はずっと本社ですね。本社では営業や安全管理業務や国際事業部に関わったりしていました。

――海外展開には、どのように関わられていたのですか


35歳くらいまでの話ですが、それまで中国に行く機会が結構多かったんですよ。中国で商売しているお客さんがいますし、アパレルの展示会もあるし、中国の友達もいますので、海外支店をつくることを考えていたんですね。ただ、中国でビジネスが成功するイメージは持てませんでした。何回行っても無理だなと。

次に注目したのがベトナムです。まだ市場も新しいし、入り込む余地があるんじゃないかと考えました。これが2016年くらいのことですね。1回行ってみて、面白いなと思ったんです。親日でいろんな会社も進出している。でも、そこまで会社数多いわけでもなくて可能性を感じました。それで10日間のハノイとホーチミンを視察しました。結論からいうと運送でのベトナム進出は断念しました。

1つ目の理由は、今から参入した場合、人件費の安い現地の運送会社と競争しなければならない実情がわかりました。2つ目の理由は、投資額の問題です。ベトナムってなんでも安いイメージがあったんですけど、安いのは人件費だけなんです。土地を借りる、ものを建てる、トラックを買う。日本より高いんですね。儲かる見込みが立たないのに、大きな投資はできませんから。物流での進出はまだしておりません。

そうこうしている時に、ベトナムで知り合った方から声をかけられたんです。「技能実習生の協同組合をやりませんか?」って。それで、海外の人材を日本に入れていくという新しい事業がはじまりました。これが2017年ですね。開発途上国の青少年を一定期間受け入れ、技能、技術、知識を習得させることにより、人づくりに寄与することを目的とした事業です。

ベトナムでのビジネスは人材の紹介に関わる仕事がメインですね。IT関係の仕事もチャレンジしてみましたが、なかなかうまくいかないのでやめましね。その時に会社もハノイに作りましたのでベトナムには会社があります。その会社をもっと活かしていくのは今後の私の課題ですね。

――まだ事業承継はされていませんが、承継の心構えなどはいかがですか

父は今年70歳なのですが、現役バリバリで元気ですね。あらためて考えると、経営者として父はすごいと思います。これだけ自社の不動産を持っていながら、無借金経営をしてきてますから。そこはやっぱり常に数字に対して厳しく見てきたからだと思います。

最近、父からよく言われるひと言があります。「お前だったらどうする?」です。ここ1~2年になってからよく聞かれるようになりました。おそらく社長になるための実地研修といったところなんじゃないでしょうか。

私は子どもの頃から「会社はお前が継ぐ」と言われてきたので、自分でもいつか会社を継ぐと考えてきました。ただリアルに考えを突き詰めていくと、継ぐためにどういう経験をしておくべきかっていう観点で、いろいろ考えてきたと思います。なので、父から「いつ社長を交替する」といった話はまだないのですが、いつでもその時が来てもいいように心構えはできています。

――大きなテーマになるのですが、今後の展望について教えてください

そうですね。ウチは現在、水戸から広島までしかネットワークがない状態です。なので、営業所のないエリアに今後は営業所をつくって展開していきたいですね。あとは、ベトナムを通して海外のことを勉強させてもらっているので、海外支店も増やしていきたいと考えています。

父もそうですが私も、人のお金を集めてまで大きなことはやりません。なので、上場などは一切考えていないです。

今の日本の物流業界の物流って、サービスが過剰すぎるんですね。今日出して明日ものが届くっていうこと自体、現場にシワ寄せが出てきてますから。これは多分なくなっていくと思います。求められることに対して、応えられることが少なくなっていくのは目に見えています。

産業、サービス、すべてがここ10年で大きく変わっていくので、そんな時代の変化を見据えて、提供できる最適なサービスのカタチを考えていかなければならないですね。そのためにも、まだまだ勉強しないといけないですし、常に変化を恐れず何事にもチャレンジしていきます。

<インタビュー情報>

丸進運輸株式会社
専務取締役  半田 祐也
会社ホームページ http://marushin-unyu.co.jp/

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