競争時代から協力時代へ。地域企業のコミュニティづくりで建設業の未来を拓く


株式会社コヤナギ
代表取締役  小柳 明



はじめに、コヤナギという会社について教えてください。

コヤナギは建築用資材総合商社です。家を建てるために必要な住宅設備機器、家電製品、空調機器などの販売を行なっています。最近では、建築・設計業界の動向や社会・個人のニーズを的確にとらえ、企画提案・設計・現場管理までトータルにサポートするといった総合的な住宅コーディネーターへとフィールドワークを拡大しています。

当社の歴史は古く、創業は1919年(大正8年)です。来年で100周年を迎えます。もともとは材木店として建築用木材を扱っていました。戦後、着工件数がどんどん増えてきたタイミングで、新建材と呼ばれるもの、フロア、ドア、システムキッチンなどを扱うようになり、工務店さんをお客様とした商売で業績を伸ばしていきました。

ところが、バブルが弾けたあたりから着工件数が減り、工務店はハウスメーカーに押されてだんだん受注が取れなくなっていく時代に。住宅設備の卸だけをやっていたら当社は廃業していたかもしれません。しかし、父が社長の時に、ヘーベルハウスが外壁に使っているALCという軽量気泡コンクリート建材の工事需要が増えてきたことで、卸だけなく工事もできる存在として、独自性を確立することができました。



コヤナギに入社された頃の話をお聞かせいただけますか?

コヤナギに入ったのは、今から7年前、2011年の震災のちょっと前ですね。長く働いた会社を辞めてきて、40歳を過ぎていたので覚悟がいりました。それまでまったく叔父が社長をしているこの会社にタッチしてなかったので、叔父以外に知っている人もいませんでしたから。

初めて当社のドアを開けた時、開けたドアすぐ閉めたいと思いました(笑)。なんというかドス黒い空気が漂っていたんですよ。雰囲気が暗い。社員に表情がないんです。正直、「エライとこに来たな」と思いました。当時の私は社長候補として来たんですけど、「これは大きな手術が必要だぞ」と感じるには充分な状況でしたね。

当社の第一印象は、「みんな仕事楽しんでないな」というものでした。工務店さんに怒鳴られて、怒られて、こき使われてる感じだったんですね。これって仕事が楽しいわけがないなと思って。じゃあ、仕事が楽しい状態って何だろうと考えた時、人に感謝される仕事をしている状態だと思いました。じゃあ、何をすれば感謝されるのか。よくよく考えたら、今の工務店さんって仕事があんまり取れてないんですよ。それなら工務店さんに仕事を紹介すれば感謝されるんじゃないかと思いました。

それまでウチの会社って、工務店さんから依頼を受けて、資材を納入してただけの会社だったんです。その商流を逆転させられないかと考えました。その頃、不動産屋さんからウチに依頼が来たんですけど、どうやら不動産屋さんは、土地を買ったお客さんが家を建てるためのさまざまな業者を探すことに苦労していることが分かりました。

「これだ!」と。不動産屋さんに対してウチが窓口になって工務店探しを担当する。それによって工務店に仕事を紹介できる。仕事を紹介するかわりに工務店には資材はウチで発注してもらう。こんな流れを作ることにしたんです。これなら同業と競合して価格競争に巻き込まれることはないですし、双方から感謝される。この流れに完全シフトしていけるように、今、交流会を開いたりいろいろ取り組んでいます。



他に、小柳さんが改革して生まれた御社の特徴はありますか?

大きく2つあります。1つ目は、ALC工事ができる体制を作ったこと。2つ目は、営業の平均年齢が20代という若い組織を作ったことです。

まず、ALC工事について。ALCとは、珪石、セメント、生石灰、発泡剤のアルミ粉末を主原料として高温高圧蒸気養生という独自製法による軽量気泡コンクリートのこと。でもこれを扱える業者がって、今すごく減っているんです。なぜかというと、仕事がハードなんですよ。イメージ的にはピラミッド作っている職人みたいな感じ。今時の日本人でやる人はいないですよね。でも需要はあるんです。仕事はあるけど、やり手がいない。おいしい部分はあるわけです。

それで、実験的にベトナムから実習生を呼んでやらせてみました。そしたら上手くいったんですね。近年、高い広告費を払って求人を出しても日本人は集まりませんから。外国人に日本語教えたほうが楽じゃないか。そういう取り組みを進めて上手くいき始めています。

次に営業ですね。私が来た当初、営業は8名いたのですが50代が中心でした。でも、ムラ意識が強くて、古い人間が圧をかけて新人を辞めさせちゃうんです。「新人を入れてほしい」というから採用したのに何やっているんだと腹が立ちまして。結構厳しい処置を行なったんです。そうしたら8名中6名が結託して一斉に退職しちゃったんですよ。たしかに一時期はきつかった。ですけど、組織の新陳代謝が起こって、20代が増えたのは怪我の功名だったと思います。

営業って歳とともに売れなくなってくるんです。でも若い人はどの層にも売れるんです。60代の人から見たら子供みたいな感じで接してくれたり、当然若い人にも売れるんで。やり方分からなかったり、将来のビジョン持ってないだけなんですよね。それを補うことで売れる20代の営業組織ができあがりました。



そんな小柳さんのこれまでの人生について聞かせてください。

私は、勉強もできない、スポーツもできない子でしたね。中学の時なんか、「もう高校入れませんよ」って先生に泣かれたくらいです。社長の息子のくせに、中学の時に新聞配達のバイトしてたりとか。インベーダーゲームやりたくてお金が必要だったんです。それでバイトがバレて、親に怒られるという子どもでした。

でも、バイトは大好きで。高校の時もずっとバイトばかりやってました。30近くになってディズニーランドのキャストやったり。夢と魔法の国では最年長の新人でしたね。サラリーマンやりながらも、40歳まで週末はラフティングのガイドをアルバイトでやってました。遊びをしながらお金が入るのが好きなんですよね(笑)。

話が少し戻るんですけど、高校出た後、コンピュータの専門学校に入りました。卒業後、みんなエンジニアになるんですが、私はコンピュータを扱う外資系の営業会社で営業をすることにしました。フルコミッションだったので売れないと1円も入ってきません。休み返上で働いたんですけど売れなくて。それで自分の学校の名簿に手を出しちゃって、結果、友だち全員なくしました。当たり前なんですがショックを受けて。仕事を辞めて「逃げよう」って、ワーキングホリデーを使ってオーストラリアに旅立ったんです。傷心旅行であり自分探しの旅ですね。

でも、そこでいい出会いがありました。ホームステイ先のホストマザーです。その人にすごく気にいられちゃって(笑)。週100ドルで2食付きだったんだけど、お弁当まで作ってくれて。でもお金が厳しいという話をしたら「じゃあ50ドルでいいわ」って値下げまでしてくれて。こんな幸せはないなと思いました。本当に懐の広い方で救われましたね。もう自分の居場所なんてないと思っていたんですけど、「居場所なんて新しく作ればいい」と前向きにさせてくれたのは、このホストマザーのおかげですね。

それで日本に戻ってきて、「もう好きなことやって生きていこう」と思いました。先輩に誘われて入ったアメックスのアメフト部で燃えたり。父親に言われて建材メーカーに入って、いろいろバイトをしたり。30歳になったら定職に就こうと思っていて、それまでは楽しんでおこうと思い、ニュージーランドを縦断したり、西表島で2ヵ月キャンプしたり。いろいろやり尽くしましたね。

そして、シメに世界一周旅行を考えていたとき、出港までの3ヵ月だけ働こうと思って入った日立で、再びいい出会いがありました。直属の上司の方なんですけど、この人が親身になってくれる人だったんですね。その人との仕事が面白くて。勉強になるし、成長できるし。その人から教わったことは今でも活きています。その人がいたから3ヵ月のバイトのつもりが、正社員で15年勤められたのだと思います。

その方が定年退職しちゃって、「この先どうしようかな?面白くないな」と思っていた時に、先代の社長、叔父から声がかかって、事業継承のためにコヤナギに行くことになりました。


会社を継ぐことって、いつ頃から意識していましたか?

幼少期の頃から意識はしていました。ただ、うちのお袋も親父もあんまり家に帰ってこなかったので、ちゃんとした指導を受けたことはないんですよ。勉強もちゃんとしなかったから、いい大学を出ているわけでもないし、いい会社を出ているわけでもないから、継ぐのに自信がなかったんですね、正直なところ。継いだところで上手くいかないだろうって自分でも分かってたんで。それで40過ぎまでかかっちゃったんだと思います。

経営者っていうのは「船の船長」に似ていますよね。船長の指示1つで沈没しちゃうじゃないですか。みんなをちゃんと目的地まで運ぶ責任、ちゃんと家に送り届ける責任があると思うんですよ。ドラゴンボートって、20人乗りの船でやるレースがあるんですけど。会社の経営って、これに似ているんですよね。このレースって、みんなの気持ちが1つにならないとまっすぐ進まないんですよ。1人でも漕がない人がいたら水面に刺さってるパドルを中心に円をかいちゃう。この号令をかけるのが経営者なのかなって。

こういう発想は、私ならではかもしれませんね。前にも言いましたが、仕事は楽しんでやるに越したことはありません。なので、社員みんなが楽しんで仕事ができる方法を考えるというのも、経営者の務めだと私は思っています。それに、これからの時代、社員を使い捨てにしたり、奴隷みたいな使い方をする会社なくなってくると思うし、伸びていかないんじゃないですかね。


小柳社長が見据えている今後の展望について、教えてください。

変えるべきことは、全部変えなきゃいけないと思います。逆に「変えちゃいけない」って難しいなぁとも感じているんですよね。自分の人生って、結構捨ててきた人生なんですよ。だから、「変えない」という選択肢があまりなかった。常に自分自身や周りの環境を変えて、それで前に進んできました。だから、捨てないと生まれないものがあるって知っているんですよ。

だから自宅も捨てました。国立にあったんですけど、そこにこだわっている時間がもったいないなと思って。そういう決断ですね。

場所的に良かったので人に貸すという選択肢もあったんですけど、売ったことで得たお金で新しい家を建てる資金ができた。捨てたことで、新しいものを得て前に進んでいるんですよね。『スターウォーズ 最後のジェダイ』でルークがジェダイの法典をすべて燃やしてしまうんですが、それを見て「なるほど」と思いましたね。

捨てる決断は難しいですよ。辞める決断も。でも、たぶん捨てないと次のステージには行けないですし、捨てた決断を「正しい」という結果にしていかなければならないのだと思います。

売上の話をすると、5年後に売上12億円を目指しています。今が売上7億円なので、今後は「仕組み」を考えていかなければならないですね。私たちはハードウェアの仕事をしています。ものを作ったり、売ったり。でもそれで売上を作っていくのはそろそろ限界ですね。これで利益を稼いでいくのって相当難しいですよ。

だから、自分たちの価値を創っていかなければなりません。それが、冒頭に話した窓口になることだったり、工務店と施主を繋ぐマッチングを作っていくことに繋がります。働きかた改革も進んできて、これからは競争というより協力の時代になると私は感じていて。任せられることは協力会社に任せて、無駄な仕事を省いていく流れになるでしょう。そんな時代にマッチした企業同士の協力体制、コミュニティづくりが、コヤナギを新しいステージに進めていく道になると私は思っています。




<インタビュー情報>

株式会社コヤナギ
代表取締役  小柳 明
会社ホームページ http://www.kyng.co.jp/

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