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確かな技術とサービスでお客様に価値ある時間を提供する

株式会社日本工業社
 代表取締役 米田 安司


創業から現在に至るまでの変遷について教えてください。

昭和16年(1941年)創業者である私の叔父が製図・トレース技術を提供する会社として創業し、昭和24年(1949年)に日本工業社を設立しました。

創業者は製図の技術者で大手製鉄会社に入社する予定だったのが、健康面の理由で入社することができなかったんです。当時、一人でも多くの技術者がほしかった製鉄会社の担当者からの提案で、神田に事務所を作って製図のお手伝いをさせていただいたのが当社の始まりです。

創業期は図面を複写する需要が大きく、現在のように電子複写技術はなかったため、日光写真といわれる太陽の光で感光させて図面を複写するサービスを提供していました。高度経済成長期の波に乗り二代目を引き継いだ私の父が事業を拡大。製造業など高度経済成長を後押しする産業のサポートのため青焼きの図面は欠かせないものでした。

大きな転機となったのが、1970年、大手製鉄会社の中にコピーセンターを設置し、企業内に常駐して複写業務の受注を開始したこと。製鉄だけでなく大手石油会社にも同様のコピーセンターを設置し、現在でもオンサイトのプリンティングサービスが事業の主軸となっています。

ゼロックスに代表される電子複写機が登場してからは、メーカーが提供した複写機を用いて複写業務のアウトソーシングを行うようになりました。ただ、複写機の性能が向上し、複合機が登場するなど技術革新が進む中で、単なる複写代行だけでなく、間接業務の代行や間接材の調達サポートなど事業領域を拡大してサービス内容を変化させてきています。



日本工業社の経営理念は何ですか?

先代社長である私の兄が制定した経営理念を引き継いで、日本工業社の風土として浸透させています。先代が「全てはお客様のために」という理念を掲げた後、社員の満足なくしてお客様の満足はあり得ないということで、それを進化させて「全てはお客様の笑顔(CS)と社員の笑顔(ES)のために」という現在のコア・バリューに至っています。

そして、コア・バリューを支えるミッションとして「確かな技術とサービスでお客様に価値ある時間を提供し続けます」を掲げています。我々が提供する仕事は単なるコピー代行ではなく、お客様からの要望に応えた様々なサービスを提供していくことで、お客様にはコア業務に専念してもらい価値のある時間を提供するということです。

コア・バリューとミッションの実現のため、「全社員が全ての期待に応えることに挑戦します」というビジョン、「HERO’S」と呼んでいる五つの行動指針、それらを支える人事ポリシーを定めています。

「HERO’S」とは「Harmony(協調性ある行動)」、「Energy(満ち溢れるエネルギー)」、「Reality(現実を見極める眼)」、「Originality(個性豊かな人間性)」、「Step by step(一歩一歩、確実な成長を…)」という五つの頭文字を取った行動指針で、この行動指針に基づいた人材教育を実施しているんです。

このコア・バリュー、ミッションなど日本工業社の価値観構造は、全員が同じ価値観の元で目標達成に向けて自律した行動をするためのものです。中でも「確かな技術やサービスでお客様に価値ある時間を提供し続けます」というミッションは、日本工業社の歴史の中でも一貫した想いだと思っているので、今後も変えることなく実践していきたいと考えています。



米田社長が日本工業社に入社された経緯を教えてください。

5歳年上の兄が長男としていたため、もともとは日本工業社に入社して社長になるという気はありませんでした。兄は早くから社長だった父親に付いて仕事や社会を学んでいたので、私は別の道に進むのが当たり前だと思っていたんです。

ただ、経営者の息子として父の背中を見て育ってきているので、会社を経営することへの憧れはあり、小学校の卒業アルバムに将来の夢は「日産の社長」と書いたのを覚えています。他の子ども達は「プロ野球選手」などが多かったのですが、私は当時日産の車が好きだったこともあり日産の社長になりたいと書いていました。

高校を卒業してからは兄に紹介された大手自動車メーカーのカーディーラーに就職しまして1年間はディーラーで働いていたのですが、ある時突然父が心筋梗塞で倒れ、亡くなってしまったんです。

当時後継者になる予定だった兄はまだ25~26歳と若かったため、会社のナンバー2だった方に当面社長をお任せすることになり、兄が専務取締役を務めることになりました。そのタイミングで兄から「一緒にやってくれないか」と呼ばれて日本工業社に入社することになったんです。

日本工業社の仕事については実は何も知らなかったのですが、私は小さい頃から兄にずっと面倒を見てもらってきたので、父が急逝してしまった状況の中で何とか兄の力になりたいという一心でした。


入社されてからはどのような仕事を担当されてこられましたか?

私が入社した時は、亡くなった父が取り扱いサービスを拡げて多角的な事業展開を試みている時でした。従来の複写サービスだけでなく、当時先進的だったメタルコピーという紙以外のコピー商品など複写事業の延長線上にある将来を見据えた新規事業を展開していた時期だったんです。

父が亡くなるまで兄が新規事業の担当をしていたのですが、兄が専務取締役になったことで私が新規事業の仕事を引き継ぎました。当時はラミネート加工が流行りだした時期だったこともあり、新しい機材を導入した新規事業は全て任せてもらっていました。レンズ付フイルム 「写ルンです」が流行したときに特急プリントショップという現像ショップを運営していたこともありました。

デジタルカメラが登場しフィルム写真に陰りが見え始めた頃には、デジタル商品の営業部門の方に専念することになります。Macを導入して社内的にデジタル化を進めていた時期で、大型のサインディスプレイ事業などデジタル関連事業の営業を私が担当してきました。いわゆるDTPと言われるパソコン上でデータを作成する事業を始めたのもこの頃です。

今考えると従来のサービス部門にはキーマンとなる人材が揃っていたため、それ以外の部分で私に役割が与えられたんだと思います。必ずしも成功した事業ばかりではありませんが、新しいことに挑戦してこれた経験は今も私の財産になっています。


五代目として社長に就任された経緯を教えてください。

1991年に兄が四代目社長に就任し、私は営業部を取り仕切りながら2000年頃から取締役に選ばれて経営会議などにも出席していました。ただ、その頃は経営に携わるという意識はあまりなく、目の前のお客様の要望を如何にこなしていくかということしか考えていませんでしたね。

それからずっと営業責任者としてお客様の対応を任されてきたのですが、兄が60歳を迎えた頃から事業承継を意識しはじめ、「近い将来お前に会社を譲るときがくるから覚悟しておいてくれ」と言われたんです。

その時は、正直に言って組織構造として兄が会長になり、私が社長に就任することに何の意味があるのかと思っていました。ただ、兄から「社長を任せるからには一切口出しはしない」と言われてから、「考え方を変えなければならない」と思うようになったんです。

2017年の初め頃に代表を交代すると宣言されてからは覚悟を決め、今年(2018年)五代目として社長に就任することになりました。

引き継ぐにあたって感じたことは、兄弟で長く一緒に仕事をしていると言葉が足りなくなってきて認識にギャップが生じてしまうということです。社長に就任する前に、兄とはお互いに何を期待しているか話し合ったことがあるのですが、考えていることが結構違ったことに驚きました。



社長に就任されてから課題に感じられたことはありますか?

実は、2018年1月に兄の長男が日本工業社に入社しており、5年後に五代目から六代目に譲ることを決めて計画を立てているところです。次の事業承継に際しては認識のギャップが生まれないよう、会長の兄と現社長の私、後継者となる彼の考え方を共有できるように今から取り組みを始めています。お互いが経営に関わるテーマごとに思っていることを話し合い、ベクトル合わせをするようにしたんです。

5年後に六代目へ事業を承継することを前提に考えて、古くなってしまった組織を再構築しなければならないと思うようになりました。私も五代目に就任して感じたのが、経営者になった時に大事なのは周りを固めてくれる幹部やパートナー、スタッフだということです。

新体制に向けて組織を再構築するため役員の見直しも行い、また、税理士や社労士など外部の経営パートナーも刷新しました。そのおかげで経営陣が一丸となって方針を決定し、課題を投げかけた社外パートナーからも適切なアドバイスを頂けるような体制を構築することができたと思っています。

人間関係はどうしても個人のパーソナリティと密接に結びつくものなので、親子であろうが引き継ぐことは難しいんですよね。そのため、過去のしがらみに縛られることなく、次の世代に向けた組織改革には今後も積極的に取り組んでいきます。


 今後の展望を教えてください。

メインの事業として展開してきた複写業務の代行は今後さらに市場規模が縮小していくため、事業改革を進めていかなければなりません。ただ、お客様のところに常駐してサービスを提供する日本工業社の強みは今後も維持していかなければならないと思っています。

あらゆる企業で働き方改革が推進されている現在、お客様が自社でやるべきコア業務と、アウトソーシングするべき業務は明確に仕分けされてきているような状況です。今後はさらにアウトソーシングのニーズが高まってくるため、その役割を積極的に提案していくことが日本工業社としての役割なのではないかと思っています。

定量的な目標として5年後に売上げを約2倍にする計画を掲げています。そのための事業の柱として考えているのが、ITを武器にしたBPOサービス事業、50年以上企業の中でオンサイトサービスを提供してきたノウハウを活かしたコンサルティング事業、そしてお客様の働く環境を作る支援をするオフィスコーディネート事業 です。

これまでお客様企業の中に設置させていただいているコピーセンターという名称も、デザインセンターという名称に切り替えていきたいと考えています。いわゆる印刷物のデザインという意味もありますが、お客様の業務全体をデザインしていくという広義の意味でのデザインセンターを目指しているんです。

技術革新が進み変化していく時代の中で、なくなる仕事もあれば生まれる仕事もあるということです。我々が長い年月で積み上げてきた実績とノウハウを駆使した新しいビジネスを創造していきたいと考えています。

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<インタビュー情報>
株式会社日本工業社
代表取締役 米田 安司
会社ホームページ https://jiinet.co.jp/

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