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"つなげる"ための電子部品メーカーを、さらに飛躍した未来へと"つなげる"挑戦


フジコン株式会社
代表取締役社長  大島 右京



はじめに、フジコン株式会社の事業について教えていただけますか?

フジコン株式会社は、「端子盤」という電子部品の専業メーカーです。端子盤とは、電気を流すには電線が必ず必要なのですが、電線だけでは電気を流すことはできないので、"つなげる"モノが必要なんですね。それが端子盤という部品です。

電気が流れる所には必ず端子盤のニーズがあります。家庭内でもたくさん使われていまして、例えばエアコンの室外機、火災報知器とか、音響装置とか。変わったところだとスーパーコンピュータの京です。あれにも弊社の端子盤が使われています。ありとあらゆるところに使われる部品なので、部品自体は一種類しか作っていないのですが、業界・業種に依存していないのが強みですね。

実は、創業当初は端子盤以外も扱っていたんですよ。でも2年目には、うちの会長である創業者が「端子盤一本でいく」と早い段階で絞ったんです。それが結果として当社の強みを作ることになりました。最初の頃は、委託生産でやっていて、社内でものづくりはしていなかったのですが、昭和51年に川崎工場を作りました。昭和59年には山梨にも工場を建て、2拠点生産始まり、人員が増えていきましたね。

山梨を選んだ理由は、首都高を通らずに行けるアクセスの良さです。あとは、その山梨工場の裏手に三つ峠という山があって、うちの会長が当時よく登山していたんですよ。そこから見る富士山が一番きれいだと言われています。社名のフジコンのフジというのは富士山のフジとも日本一という意味もあります。コンはコネクトから取っています。



さきほどお話に出てきた「強み」について詳しくお聞かせください。

1.市場に先駆けた新製品開発

2.豊富な品揃えと柔軟なカスタム対応

3.迅速できめ細やかな対応

1つ目は、技術的なものです。市場に先駆けて新製品を開発するということで、色々な「業界初」を作り出してきました。ちょうど売り出し中の画期的な戦略製品も特許を取得しており、新製品開発に積極的ですね。

2つ目は、品揃えとカスタム対応です。全部で1万6000品目ぐらいあるのですが、全部の組み合わせで14万種類を注文として受けられます。業界で一番品揃えが多いです。そしてカスタム対応ですね。一社のお客様だけの専用の金型を作ったり、既製品のビスの種類を変えてほしいとか、この金具の足の長さをもうちょっと長くしてほしいといった変更に対応したりしています。手間がかかるので一般的にはやりたがらない仕事なのですが、フジコンはそこにこだわりました。だから、「フジコンさんに言えば何でも応えてくれる」というポジションを築くことができたのだと思います。

3つ目は、スピード対応ときめ細やかな対応です。ちょっとした変更というのもそうですし、あとは超短納期の対応とか、1個からの注文も受け付けたりしています。そして、お客様と顔と顔を合わせて、つながりを深めることを大切にしてきました。そういうところも、きめ細やかというところに現れていると思います。

このような独自性の高い強みは、端子盤という一つの部品だけに特化してきたからできたんでしょうね。



企業理念「幸せづくり。笑顔づくり。」もユニークですよね。

これはですね、3年前の創業50周年式典のときに生まれたものなんですよ。祝賀会に本社と山梨のメンバーが全員集まりました。今まで全員が集まるといった機会がなくて、お酒を飲んだりする中で見えたみんなの表情が、すごく印象的だったんです。本当にもう幸せそうな笑顔で。その時に見えたんですよね。作ろうと考えていた理念の方向性が。自分でも苦しんだり自信がついたりした場面には、必ずこの幸せな感覚とか笑顔とかがあったなと。私たちが目指すべきところは、ここだと思ったんです。

先代である父は理念を作りませんでした。父の場合は言葉で示さず、背中で理念を語っていたのだと思います。でも、私が会社を継いでいく上で、私の決意をきちんとカタチにして社員みんなに伝えていく必要性を感じていました。

キッカケは、私が所属している東京中小企業家同友会で開かれている経営指針成文化セミナーですね。これは、経営者が理念を成文化して、それを社員と一緒に同じビジョンに向かっていくための講座です。この約半年にわたる連続講座に通っていたので、そこで学んだことを活かしてみようと思いました。



大島社長の子どもの頃は、どのような感じだったのでしょうか?

私は残念な子どもでしたね(笑)。今でこそ、「すごい人脈豊富だね」と言われるのですが、大学2年まではもう本当に友達が少なくて、コミュニケーションが苦手な人だったんです。人前で何か話す、自分の意見を話すとかが大っ嫌いでした(笑)。

転機になったのは、大学のテニスサークル活動です。そこで生涯の仲間といえる人たちと出会えたっていうのが一番です。本当になんでも語り合える仲間とか、言い合える仲間がその時にできて、色々な人と交流する怖さから解放されたんですよね。"つながる"ことのうれしさ・幸せを体感できて、そこから人生が変わりました。"つながる"という言葉を自分の人生の中で実感した出来事でしたね。

大学卒業後、父の会社ではなく、他社に入社しました。入ったのは自動組立装置を作るメーカーです。自社の部品が使われる装置の設計、組立や様々な工作機械で部品加工をするなど、ものづくり全般の実務経験を積んでおきたかったというのがあります。「他社経験をしたほうがいい」と思い立って、それで山梨の幹部の方にお願いして、お取り引き先の1つで修行させてもらったんです。

そこで数年働いた後にフジコンに入社するのですが、そこからは苦難の連続でしたね。「こいつが2代目」みたいな感じで、ちょっと気恥ずかしさとか、いきなり将来を約束されるような感じで、「周りは自分のことをどう思うかな?」とか、いろいろ考えてしまった時期が長かったんです。




お父様の会社に入社されて、どのような苦労をされたのですか?

たくさんあるのですが(笑)、インパクトが大きかったのは山梨の工場を任された時ですね。これまで営業や人事、IT化など様々な業務をやってきましたが、肝心なものづくりを経験せずに現場の責任者になったんです。その頃、当社のものづくりが褒められた状態ではなくなっていて、工場の立て直しが私の使命でした。

しかし、就任して1ヵ月くらいして、当時社長だった父のもとに山梨工場のスタッフから匿名の手紙が届いたんですよ。「新しい工場長が来てから、みんなつらい思いをして働いている。ものづくりも箱詰めもしたことがないやつが来て人を束ねることができますか」という内容でした。父からそのことを聞いて、「当然そう思うだろうな」と思ったものの、手紙まで来たのでビビッてしまったというのはあります。

その頃、工場は荒れていて不良品だらけ。無断廃棄も横行していて、納期も悪く、品質もひどく、就任直後には大きな大クレームが立て続けに発生している状態でした。これをなんとかしないといけないのですが、私はその前に基幹業務システムの切り替えプロジェクトで大失敗するなど、失敗だらけのキャリアを積み重ねてきたのです。大きなことを成し遂げたという成功体験がなく、「ダメな2代目」と思われているだろうなと感じている時に、あの手紙ですからね。委縮してしまって、身動きが全然できなくなってしまったんですよ。

当社はリストラしない方針でずっとやってきおりましたのでそれはそれで素晴らしいのですが、一方で頑張らなくてもクビにならないという側面もありました。それで工場も荒れて、若手がどんどん辞めていく状態に。退職理由を聞くと、「現状を見ていると将来が不安だ」というわけです。「このままじゃ、本当にフジコンはなくなっちゃうな」という危機感が芽生えてきて、ようやく「立ち止まっていられない。一歩踏み出さなきゃ!」と覚悟が決まったのだと思います。

最初にやったのは、無駄なものを廃棄すること。処分してスペースが広くなったので、レイアウト変更を行ないました。社員さんが最小限の動きで済むようになって、「やりやすい職場になった」と感想をいただけるように。そして現場に入り、約2ヵ月色々な現場を経験。各部署で困っていることを聞き出したところ、問題点は224件出てきました。それをエクセルでリストアップして、影響の多いものから改善に着手。やらなくていいことを決めたり、やりにくいものをやりやすいように変えたり。現場で働く人と同じ目線に立って、現場の問題を解決したことで、みんなの信頼を勝ち得ることができました。工場の立て直しは、当初2年の予定でしたが、4年半かかってしまいましたね。

弱い自分と向き合わざるを得なかった期間だったと思います。自分に足りなかったのは「一歩踏み出す勇気」。相手と"つながる"ためには踏み出さないとはじまりませんから。そんな弱さを克服するために始めたのがボクシングです。最初は闘争心を養うために始めたんですけど、副作用として感謝の心が高まりました。自信がついてきて心に余裕ができると、素直に感謝できるようになったんです。

叔母との関係改善も、ボクシングによる恩恵の1つですね。創業時よりフジコンの経理を担当している方だったのですが、この人とは昔からソリが合わなかった。会社でも電話で罵り合う最悪の関係だったんです。このままではいけないと思って、感謝の心をもって接してみようと考えたんですね。そしたら、思いがけないくらい劇的に関係性を改善できたんです。これは大きな学びでした。

永遠に変わらない親族でありながら、ちょっとしたお互いの心の持ち方で関係性を崩しちゃうのは本当にもったいないことです。お互いに感謝、尊敬しあえる関係であれば、よりよい事業運営もできて、社員もより安心して協力してもらえる体制ができるんじゃないかなと思います。



今後の経営について考えていらっしゃることを教えてください。

大切に考えているのは、「幸せづくり。笑顔づくり。」ですね。幸せや笑顔の源泉は心と体の健康だと思っています。経営者自らが率先して運動に取り組み健康を志すことで、社員さんたちが共感して同じように心と体の健康づくりを行ない、心と体の健康が高まれば相手を尊重し合える組織が生まれると、私は考えています。これを健康経営と名付けて自社で実践していますし、東京中小企業家同友会の経営者仲間にも賛同いただいて、みんなでトライアスロンに挑戦したりしています。

あと、サプールってご存知ですか。コンゴにあるサップと呼ばれる独特なファッションを楽しむおしゃれな紳士集団のことです。コンゴという国は内戦が長く続いていて世界一貧しい国とまでいわれているんです。でもサプールたちは1ヵ月の収入をはるかに上回る高級スーツを着て、とても優雅に暮らしている。そのファッションが「服が汚れるから戦わない」というメッセージなんですよ。90年以上つづいているこの考え・文化に感銘を受けて、当社は企業として応援しています。

社会貢献、人道支援、業界の課題解決も含めて会長が大切にしてきた基本方針は変えることなく、多角化をしていきたいと考えています。最近では、去年(2018年)の3月からテキサス州ヒューストンのNASAに視察に行った時に、そこで宇宙アンテナがピーンと立ってしまいまして、4月には宇宙ビジネス事業部というものを作ってしまいました。宇宙時代はすぐそこまで来ていることを考えての判断です。

時代の変化に合わせて、今までのような端子盤専業メーカーから成長していく必要性を感じています。お客さんにとって端子盤は部品の一つに過ぎませんが、不具合・不都合の解消屋ではなく、配線をもっと広く捉えたところの困りごとを解決できる存在になっていきたいですね。加えて、サプールを見習い本一紳士淑女が集う製造会社というか、ホテルのコンシェルジュみたいに電話対応や来客対応がとても丁寧といった、他社にない価値を提供する会社が求められていくと思いますし、目指していきたい姿ですね。

フジコンが50年続けられたのは、先代たちが技術力を大切にしてきたからです。それは守らなければなりません。同時に、先代が築いてきたことにより磨きをかけ、より広い視野を持って、未来へと"つなげる"。それが私の使命だと思っています。




<インタビュー情報>

フジコン株式会社
代表取締役社長  大島 右京
会社ホームページ http://www.fujicon-tb.co.jp/

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