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お客様と共に、住環境に新しい価値を共創する

株式会社NOGUCHI
代表取締役社長 野口 茂一


創業から現在に至るまでの変遷について教えてください

京都に本拠地を置く建材商社の湯淺七左衛門商店(現:ユアサ商事)の東京支店で番頭を務めていた初代の野口茂助が、明治31年(1898年)に暖簾分けをさせていただき、23歳の時に独立して野口茂助商店を開業したのが当社の始まりです。

独立した当時ライバルとなる問屋が10社あるかないかだったのが、3年後には100社を超えるほどにまで増えており、その中でどうやってのし上がっていくかを考え、目をつけたのが鉄道網と金融網でした。日本で初めて鉄道の荷為替を活用した建築金物の通信販売を行い、事業を拡大させていったんです。同業他社との差別化を志向する革新の精神は創業期から変わらずに受け継いできているものの一つです。

ところが、大正12年(1923年)の関東大震災により社屋も蔵も全て焼失してしまうという危機に直面します。全財産を失ってしまったことで一時は廃業も覚悟したようですが、仕入先やお得意様からのご支援をいただき、掘っ立て小屋から問屋業として再スタートを切りました。震災後の復興特需もあり着実な成長を続け、二代目野口甚太郎の代では昭和11年(1936年)に合同会社に組織変更をしています。

二度目の大きな危機は太平洋戦争です。戦後GHQの占領政策により鉄などの建築材料が全て配給制度になったことに伴って数十社の建材商社が強制的に統合されることになりました。本社建物が無事だったことで当社が統合の本体となり、私の祖父で三代目にあたる野口寿雄が統合した株式会社東京建築金物の社長を務めることとなったと聞いています。

GHQの占領が解かれた昭和27年(1952年)から一気に分社独立が進み、建材の卸売業界は群雄割拠の時代に突入します。そういった時代背景の中、三代目の祖父が野口金物株式会社を設立し、今日まで続く会社の基盤を構築していきました。



事業としてはずっと建材の卸売業を中心にされてきたのでしょうか。

戦後からの復興の中で、配給制度で特定の品物しか扱えなかったことから、品揃えで勝負する問屋業を一旦は断念し、建築金物メーカーとして自社商品の開発・販売を始めます。自社で開発した引戸用の騒音を抑えた静かな鉄製レールが大ヒットしたことで業績を伸ばしました。

昭和44年(1969年)には株式会社ノグチに社名変更し、資金的な余裕が生まれてからは再度問屋業に転換して高度経済成長期に一気に大成長を遂げてきました。

一時期は上場を考えていたこともあったのですが、バブル経済の崩壊により1990年頃をピークに業績は低迷していくことになります。2009年にはリーマンショックによる影響も重なり、ピーク時の半分近くまで売上げが落ち込みました。90年代から2000年代にかけては過去の成功体験から抜け出せていない期間だったように思います。

しかし、2000年代後半から現在に至るまでに単なる問屋業からの脱却を図り、新規事業に積極的に取り組んできたことで、約10年間で業績を飛躍的に回復させることができました。

現在では商社流通事業のほか、首都圏のゼネコンを対象に建材を販売するビル建材事業、ホームセンターなど量販型金物店を対象に自社商品を販売する量販事業、エクステリア製品や住宅設備機器をネットで材工販売するネット通販事業、建設業や物流業向け人財の派遣・紹介を行う人財事業の五つを事業の柱としています。

2015年にはホールディングス制を導入し、持分会社である株式会社ノグチHDの下、商社流通・量販・通販事業を担う株式会社NOGUCHIとビル建材事業のノグチマテリアル株式会社、人財事業の株式会社Rippleというグループ体制で今後さらなる成長を目指しています。



野口社長が入社された経緯を教えてください。

私は子どもの頃から会社を継ぐ意識があったわけではありません。祖父は婿養子として野口家に入り会社を継いだ人間で、元々金融関係の仕事をしており合理的な考え方をする人でした。そのため祖父としても親族内承継には拘っておらず、また上場も視野に入れていたことから、意思と能力がない人間には継がせる気はなかったようです。

私自身は、将来的に検事になりたいという夢があったので、大学時代は司法試験の勉強をしていました。ただ、大学の4年間で合格することができず、司法浪人をするかどうか悩んでいた時、当時会長を務めていた祖父から声をかけられ、2001年に入社することになりました。

実は私がまだ中学生だった1991年に祖父が会長になり私の父が四代目として社長に就任したのですが、社長になって3年で祖父と意見が対立し、会社を出ていってしまうということがあったんです。父が去った1994年から私に代表を交代する2009年までの15年間は、長く会社の番頭をしていた方に社長を務めていただいていました。

後に父と祖父も和解し、現在では父が会長職としてNOGUCHIに戻ってきているのですが、野口家の直系にあたる私の祖母は直系の男子に会社を継いでほしいと強く思っていたようです。そこで白羽の矢が当たったのが私でした。


入社されてからはどのような仕事をされてこられましたか?

2001年に入社して1年間は倉庫研修で各倉庫を全て回り、物流の仕組みを理解してから営業の仕事を担当することになりました。ハイエースで金物屋さんを周って営業をするルートセールスです。営業の仕事を約1年経験した中で強く感じたのが金物のルート営業はいずれなくなってしまうだろうということでした。

当時、プレカットという工場で材木をカットし金物まで付けた状態で納品する業態の勢いが増しており、金物屋が入る余地がなくなってきていたんです。具体的には、プレカットで納められた商品が95%を占め、現場で足りなくなった物だけ金物屋が1~2本配達しているような状況でした。

卸売だけでは今後行き詰まることは明白だったため自社商品を作らなければならないと思い、上層部にもメーカーになるよう進言したのですが、新しいことに対して否定的な風土が根付いてしまっていたため、全く聞き入れてはもらえませんでした。

ドンドン売上げが減っていくことに危機感を強め、2003年に新規事業としてネット通販を立ち上げることになります。キッカケになったのが、経済週刊誌で「楽天で物置が売れる」という衝撃的な記事を読んだことでした。埼玉のある金物屋さんが特集されており、ウチでも出来るんじゃないかと思ってネットのビジネスに進出することを決めました。



新規事業の立ち上げでは苦労されたことも多かったのではないでしょうか。

新しいことに否定的な社内の抵抗勢力からイジメられながら、全てが手探りの状態でのスタートでしたね。予算が5万円しかなかったため自分一人でホームページ制作などの知識を学んで何とかネットショップを完成までこぎつけました。

ネット通販のビジネスを始めるにあたって、風当たりが強かったのは社内だけではありません。当時800社ほどあった仕入先にネットショップのために商材を卸してくださいとFAXでお願いしたところ、ほとんどのメーカーに相手にしてもらえませんでした。

当時、物置はホームセンターなどで販売するのが一般的で、ネット販売をすることで適正な価格や業界の秩序を乱すという理由で排斥されてしまったんです。そんな四面楚歌の状況の中、唯一協力してくださると言っていただけたのが愛媛の田窪工業所という物置メーカーでした。

田窪工業所の田窪会長は本当に懐の広い方で、業界の慣習に縛られず新しいことに挑戦しようとしていた私に手を差し伸べてくださったんです。田窪工業所の協力がなければネットショップをスタートさせることはできなかったと思います。

そして、田窪工業所の次に助けてくださったのがヨド物置で有名な淀川製作所。当初はネットでの販売に消極的だったのですが、東京営業所の所長が情熱に溢れた優秀な方だったのが幸いでした。今後は必ずネットの時代が来ると専務に進言してくださり、専務が取締役会で後押ししてくださったおかげで風向きが変わってヨド物置を販売させていただけるようになったんです。

ネット通販を始めて最初の3ヶ月間は売上げがゼロだったので毎月のように営業会議でバッシングされていましたが、3ヶ月後に18万円の物置が売れてからは100万円、200万円とトントン拍子で売上げを伸ばし、1年後には月商1000万円までになりました。

たくさんの方々に支援いただけたおかげで新規事業を成功に導くことができたんです。この経験から、人の支えがあってはじめてビジネスを成功させることができるんだと実感しました。



社長に就任された経緯を教えてください。

ネット通販など新規事業も徐々に売上げを伸ばしてきていたのですが、2008年のリーマンショックの影響は大きく、会社の業績は過去最低にまで落ち込みました。そのタイミングで、当時取締役CM事業部長という肩書きでネット通販の責任者をしていた私に代表を引き継ぐ話が挙がってきたんです。

業績がどん底の状況での代表交代で、正直に言って釈然としない思いもありましたが、祖父からは「これ以上下がることはない、後は上げていくしかない状況だから、引き継ぐには一番良い時なんだ」と言われ、「やってやる!」という気持ちで翌2009年に代表を交代して社長に就任することとなりました。

引き継いでから、まず一番課題として感じたのは組織風土の面です。それまではトップダウンでワンマンな風土がはびこっていて、人事考課も社長が一人で決定しているような状態でした。これを公明正大でオープンな仕組みにしなければならないと思い、人事評価制度の改革に着手したんです。

MBO(目標管理制度)を導入し、約7年かけて独自の人事評価制度を作り上げました。自分たちでKPI(主要業績評価指標)や事業部ごとの事業計画を考え、皆で目標を設定させる仕組みです。こうすることでKPIが変わると連動して人事評価が全部変わるようになるんです。例えば、新規得意先を開拓するというKPIを設定した事業部は、評価項目が新規獲得に自然に移るようになります。自分たちで設定したKPIだからこそ、ボトムアップ型の評価制度が実現できるというわけです。


社長に就任後、事業面ではどのようなことに取り組まれてきましたか?

私が就任してから不採算だったホームセンター向けの事業から撤退することを決めました。ホームセンター向け事業で収益を出している他社と比べて何が違うのかを分析したところ、自社商品を持っていないと量販で収益を上げることは難しいという結論に至ったからです。

過去の失敗から学び、社長に就任した翌年の2010年から自社商品の開発に向けて動き出しました。祖父からは「最初の1年間は、よく社員の言うことに耳を方向けて、状況を把握することに努めろ」と言われていたので、1年間は待ってから商品開発を始めたんです。

2010年にメーカー部門を立ち上げて、自信を持った自社商品を幾つも開発してきたことで現在ではホームセンター向けの量販事業を復活させて、事業の柱の一つにまで成長させることができました。特許を取得した尖った自社商品を持っていることはNOGUCHIの特徴的な強みになっています。

自社商品の開発コンセプトは「現地・現物・現実」という三現主義。建設現場などで実際に使用する職人さんからの「ここが使いづらい」「ここを直してほしい」という意見を全部取り入れてから商品を出すので、職人さんたちに非常にウケがいいんです。

一例として、ねじ込みスピードが三分の一になるTRコーススレッドという商品が挙げられます。コーススレッドは木材を緊結するビスなので、技術革新なんて絶対にないと言われていましたが、特殊な加工を施すことで挿入スピードの劇的なアップを実現させました。

職人さんが一番望んでいるのは施工時間を短縮したいということなんです。職人さんたちと直に触れ合って商品開発をしていることで、そういった潜在的なニーズを拾い上げています。ウチはネットにあるようなキレイな情報ではなく、現場から上がってくる泥臭い情報を大切にしているんです。



従来の事業とは異なる分野で強みを生み出されたのですね。

既存事業がどんどん落ち込んでいく中で、ネット通販だけでなく他にも柱となるような新規事業に挑戦していかなければNOGUCHIの未来はないと思っていました。

自社商品を開発して量販事業を再構築した以外にも、ゼネコンなどを対象に大型商業施設やマンションなどの建材を販売するビル建材事業部を立ち上げたのもその一つです。ライバルの建材問屋にいたベテランの方が定年で退職されるタイミングでご縁があってウチに来ていただくことができ、初めは横浜の小さな営業所からのスタートでした。

ビル建材事業は急速に売上げを伸ばし、現在ではNOGUCHIの中で一番大きな売上げを占めるグループ企業にまで成長しています。ビル建材事業部を分社化して立ち上げたのがノグチマテリアルという子会社です。

2年末に設立したグループ企業の一つであるRippleも偶然の出会いでスタートした人財事業の会社です。千葉で人材派遣の会社を経営していた方とJCの活動の中で知り合うことができ、私とは全然異なるタイプながら何故かウマが合って、一緒にRippleを立ち上げることになりました。

現在では、ネット通販・量販・ビル建材・人財派遣といった新規事業が全売上の70%以上を占めるまでに成長しています。

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 新規事業が好調である一方、既存の卸売業に関して変化させたことはありますか?

既存事業の卸売業も、私が引き継いでから三分の一くらいまで規模は縮小していますが、時代に合わせて商社流通事業として事業内容を変化させていっています。メインターゲットを金物屋さんから建材商社にシフトしたんです。

ターゲットをシフトした一番の理由は、金物屋さんは基本的に新築に向いているのに対し、建材商社はリフォームに目が向いているからです。我々の方針として新築よりもリフォームを取りたいという思いがあるんです。商社流通事業では「新築から3R(リサイクル・リノベーション・リフォーム)へ」というコンセプトを掲げています。

以前は御用聞きのような形で営業をずっとやってきていたのですが、建材商社になると提案営業をしなければなりません。営業の仕方を大きく変えなければならないため、社内からの反発も大きく離職者も増えてしまったのですが、今は建材商社と伸びている金物屋さんをシッカリと抑えながら、立直しを図っているところです。

NOGUCHIでは、材工という材料と工事を合わせて提供できるサービス力が強みの一つです。現在では工事もできるNOGUCHIの強みが徐々に認識されていっていることで仕事がいただけていると思っています。


会社の中で変えるべきところと変えてはいけないところは何だと思いますか?

デジタル・ITを重視し、「IT・工事・物流」をミックスさせた世界で初めてのサービスを作り上げるというビジョンを掲げています。

IT技術はネット通販を15年前から続けてきたことで身につけた強みであり、そこに自社倉庫を保有している物流面での強み、材工サービスで磨いてきた工事技術を組み合わせてサービス面の強化を図っていくということです。

ただ、デジタルはあくまで手段であり、NOGUCHIの一番の競争優位性はアナログな人の絆にあると思っています。この人の絆に支えてこられたからこそ、ネット通販などの新規事業も成功させることができたからです。

事業展開や経営戦略などは時代に合わせて変化させていく一方で、人の絆、人の想い、感謝の気持ちといったアナログな部分は伝承させていかなければなりません。

また、明治31年に初代創業者が定めた「三位一体・共存共栄」という経営理念を今も大切に守り続けています。この言葉に込められているのは、社内においては「株主、経営陣、社員」が、社外においては「仕入先、お客様、当社」が三位一体で共存共栄を実現させていきたいという想いです。

NOGUCHIでは、直接のお取引先を「お得意様」、お得意先様の先にいるユーザーを「お客様」と定義しています。理念の中でユーザーである「お客様」を対象としているのは、目先の得意先ではなく、お客様を見てビジネスをしていかなければならないという教えなのです。

どれだけ時代が変わったとしても、創業者の教えと経営理念は変わることなく守りつづけていくつもりです。
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今後の展望を教えてください。

今後はPB商品だけでなくNB商品を作る本当の意味でのメーカーになっていきたいと思っています。そのために、中部営業所や大阪営業所などを作り、全国展開のための足がかりを作っているところです。

また、工事ができる商社にもなりたいと考えています。建材商社でありながら、いわゆるエンジニアリング会社になりたいということです。そのため、工事部隊の強化にも重点的に取り組んでおり、他社に追いつかれないような特徴を二つ打ち出しています。

一つはアスベスト除去工事。噴霧することでアスベストがキレイサッパリ消える特殊な液体を開発し、圧倒的に短い工期、少ない人員でアスベストを除去することができるんです。もう一つは、コンクリートの品質させるプロコンシート工法。この工法を用いることで、コンクリートの劣化原因であるピンホールと言われる気泡の穴を防ぐことができます。

これらの他社で真似できない画期的な技術や工法によって、工事の分野でも付加価値を提供していきたいと考えています。また、この業界は物を納品するだけでも工事をするだけでもダメで、物と工事が一体になって初めて価値が生まれるので、商社として物流をよく知っていてIT技術を蓄積してきたNOGUCHIがIT・物流・工事を組み合わせて、これまでにないような現場管理のサービスを提供していきたいという構想を持っているんです。

私の経営者としてのミッションは、建材業界に優秀な会社・社長を輩出していくことなので、今後も分社化を進めながらスピード感をもって新しい事業を展開させていきたいですね。ただ、その中でも「衣・食・住」の「住」というカテゴリーの中で、かつお客様の潜在ニーズを掘り起こした市場をターゲットにして事業を展開していくつもりです。

売上げとしては2020年までに2.5倍にするのが目標です。かなりハイペースでいかなければなりませんが、狙っている市場が全てブルーオーシャンなので十分達成可能な目標だと思っています。建材業界は日々の地道な仕事の積み重ねですが、夢を持って目標を実現するために全社一丸となって邁進していきます。




<インタビュー情報>
株式会社NOGUCHI
代表取締役社長 野口 茂一
会社ホームページ http://www.e-noguchi.co.jp/

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