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未来に貢献する戦うモノ創り企業を目指す

株式会社赤堀パッキング
代表取締役 赤堀 仁



創業から現在に至るまでの変遷について教えてください。

創業者の父は中学を卒業してすぐ上京して15歳からゴム加工の会社で働き始めました。朝五時から夜まで働いて、休みも月に一回程度しかなかったようです。その後、商社で営業職として働きながら、同時に自分でゴム加工の商売を始めたと聞いています。独立して会社を始めたのが昭和46年、当時はオイルショックの影響もありゴムが凄い貴重だった時代でした。

創業当初は錦糸町で赤堀パッキング製作所としてスタートし、その翌年に現在の江東区白河に工場を移転しています。自宅の1階に作業場があり、その隣にリビングがあるような環境だったので、子どもの頃はよく作業場で遊んでいました。

小学生の頃からバリ取りの手伝いをしていたため、ゴム加工の仕事はかなり身近に感じていましたね。土曜日などは学校から帰ってきて職人さんたちと一緒にご飯を食べていましたし、仕事と生活が一体になっているような環境だったと思います。

私が入社した1998年頃は、まだ社員数は5~6名程度だったのですが、現在では40人以上の会社になっています。私の代になってからは設備投資も積極的に進め、ゴム加工に加えスポンジ加工など新しい分野にも挑戦を始めました。

赤堀パッキングでは3E(EARLY・EXCELLENT・EXACTLY)を掲げ、早く、優れた、正確な製品づくりを常に意識しています。特に業界トップクラスの超特急加工には定評があり、お客様のご要望に短納期でお応えする体制を構築していることが最大の強みです。



赤堀社長が赤堀パッキングに入社された経緯を教えてください

技術屋であり商売人でもある父を尊敬していたため、幼少期から父のような大人になりたいと思っていました。また、父は口癖のように「ゴム屋は儲かるぞ」と言っていたので、自然と父の後を継ぐ意識が生まれていったように思います。一種の洗脳ですね(笑)。

高校1年から大学の間はウチの会社でアルバイトをしており、当時は機械がほとんどなかったので、この頃に手加工の技術を覚えました。

大学卒業後2年間は大阪の同業他社で機械加工の技術を学び、その後、1年間は仕入先のゴム板メーカーで工場と営業の仕事を経験させてもらいました。他社で仕事を学ばせてもらった3年間が終わり、25歳の時に赤堀パッキングに入社してからは営業マンとして働き始めます。

会社からお客様を1社ももらわずに飛び込みで新規開拓に取り組みました。父からは「とにかくゴムの看板があったら飛び込めばいい」と言われて、最初は右も左もわからないような状態でしたが、とにかくがむしゃらに営業をしたんです。この新規営業の中で営業マンの心得を教わりました。

ある時、飛び込みで営業に行った下町のゴム商社さんに元気の良さを気に入っていただき、ゴム業界の会員名簿をもらうことができたため、名簿に載っている会社は片っ端から営業に行きました。すると面白いように仕事が取れたんです。営業から見積、加工、事務作業、仕入れ、納品、電話対応など全て自分でやらなければならなかったため、寝る暇がないほど働いていましたね。

後継者として入社しながら、ほぼ新規創業と変わらない仕事ぶりですね。

もともとある会社の基盤に頼りたくなかったので、自分で会社を立ち上げるくらいの感覚で働いていました。自分の仕事は自分で取ってこいと言われたことに対して、見返してやりたいという気持ちもあり、怒涛の新規営業を始めて約5年で既存の売上げを超えるほど自分のお客様を開拓することができました。

一営業マンとして働いていた時は、父とビジネスに対する考え方の違いで、自分の力だけで何とかしなければいけないことも多々ありました。父に生産性を上げるために機械を導入してほしいと頼んでも買ってもらえなかったので自腹で中古の切削加工の機械を買いに行きましたし、会社のカタログも父は必要ないと考えていたため当時まだそんなに普及していないPCを購入しExcelを勉強して自分でカタログを作ったりもしていたんです。

二代目として赤堀パッキングを継ぐからには、今までよりも会社を大きくしたいと思っていました。私が入社した当初は5~6人の社員数だったのですが、新規開拓で売上げが伸びてきたのに合わせて人材採用も始め、徐々に規模を大きくしていったんです。また、積極的に設備投資も行うようになり、3つ設立していた小さな工場を2010年には清澄白河工場として統合して新しい工場を操業するようになりました。



どういったタイミングで二代目に就任されましたか?

2009年、私が36歳の時に社長に就任しました。その前年にリーマンショックがあり、業績が30~40%くらい落ちたタイミングでの代表交代でした。

父は60歳を過ぎた頃から交代する時期を考えていたようなのですが、若いうちに苦労をしないで会社を継ぐとダメになると思っていたようです。65歳を超えてリーマンショックの余波が響いてきたことで、体力的・精神的なことも考え私に継ぐことを決めてくれたんだと思います。

私も入社して10年目になる35歳の時には社長になりたいと思っており、30歳の頃には「5年以内に社長になる」と父に言っていました。40代になってから引き継ぎたくなかったので、自分の意思をハッキリと伝えないといけないと思っていたんです。

父は銀行からお金を借りることを極端に嫌っていたため、私が代表に就任してから設備投資のために借金をすることを話したら、呼び出されて借金をするなら親子の縁を切ると言われたこともありました。雇われ社長としてやっていくつもりはなかったので、自分が責任をもってやるからと本気で説得しましたね。

肩書きだけの代替わりでは何の意味もないと思っていたため、自分が会社の全責任を負う立場としてやっていくことを明確に伝えました。それからは父が会社の運営に対して口を出すこともなくなり、今は年度末に簡単な報告をするだけになっています。


二代目として新しく取り組まれてきたことを教えてください。

やはり設備投資をしないと会社として規模を大きくすることはできないと考えているため、新しくて良い機械があれば積極的に設備投資をしてきました。手加工は手加工なりの良さがありますが、生産性を追求しようと思ったら設備投資は必要不可欠なんです。

父は無借金経営が自慢でしたが、私は設備投資のための借金をしても絶対に返せるという自信がありますし、必要な投資は絶対にするべきだと思っています。去年、ウォータージェットという水で切断するゴム業界最高峰の機械も導入しました。設備への投資は必要に応じて今後も積極的にしていくつもりです。

ただ、社長に就任する前は何も考えずに「この機械がほしい」と言っていたのが、代表を交代してからは会社全体のことを考えて判断するようになりました。会社の経営面が分かってきたことで、雇用を守ったり従業員の給料を保証しなければならないという意識は強く持つようになりましたね。

設備投資をして効率化を推進したことで、社長に就任した翌年は売上げ30%アップ、その次の年は26%アップを達成しています。徐々に売上げのベースを伸ばしてきており、6年前には大阪に営業所、その3年後に大阪工場を設立しました。

この古いゴム加工業界で関東から関西に進出している会社がまだなかったので、誰もやったことがないことをしたいと思って大阪進出を決めました。基本的に目立ちたがり屋な性格なので(笑)、他がやっていない初めてのことに挑戦するのが好きなんです。



社長に就任してからどのような課題に直面されましたか?

仕事が相当ハードだったこともあり、一時期は社員の定着率が低かったことが悩みでした。私自身は仕事をとことんやって休みなんていらないと思っていたのですが、そういった働き方に耐えられず辞めていく社員が何人もいたことで、普通はそうじゃないんだということに気づかされたんです。

以前は働くための基本的な環境が整備されていなかったので、社員が安心して働き続けられるような体制を整えてきました。就業規則の整備や早く帰れる環境の構築、社員食堂やリラックスルームを作ってオフィス環境の改善を図っているのもその一環です。

また、社員数が40人を超えてきたため組織化が一番の課題だと思っています。毎週金曜日の8時から部門長のミーティングを実施したり、ランチ会で30分くらいの教育ビデオを見ながらディスカッションするようにしており、組織を牽引する部門長の育成に注力してきました。

昔は売上げをただ上げることだけに一生懸命で自分一人で頑張っているような状態でしたが、今は部門長をはじめ社員一人ひとりが自主的に仕事に向き合ってくれるようになってきているので、これからも人材育成と組織化は意識的に取り組んでいきたいですね。

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今後の展望について教えてください。

設備投資と人材育成、組織化を進め、より良い会社にしていきたいですね。目標としては7カ年で売上げを1.5倍にする計画を立てていて、今は計画の3期目に当たるのですが、あと4~5年で達成していきたいと考えています。

ただ、納期を守って品質の高い製品を提供していくという基本的なスタンスは変わりません。日本一を誇る超特急加工が赤堀パッキングの一番の強みなので、この会社の看板を汚さないことが何よりも大切だと思っています。

納期を確実に守って良い商品を必ず提供する。赤堀パッキングに頼んだら絶対にやってくれると思っていただけることで、信用・信頼を積み重ねてきています。昔から変わらずにやってきていることを、今後も着実に続けていかなければならないですね。

将来的に考えると人口が減っていくことで国内の需要はそこまで伸びるとは思っていないため、海外で赤堀パッキングの力を試したいという気持ちはあります。近いうちに海外の支店を作って世界を学びたいと考えています。新しい市場に挑戦するためには、今以上に継続する仕組みを作っておかなければなりません。

また、ゴム加工の分野以外でも赤堀パッキングの強みを活かせる他のビジネスモデルにも挑戦していきたいですね。新しいことにチャレンジするにはその分リスクを負わなければならないですし、何をするにしても目立つとバッシングされることも少なくありません。しかし、チャレンジャーじゃなくなったら成長していくことはできないため、失敗を恐れずにチャレンジ精神を常に持って挑戦し続けていきたいと思っています。




 

<インタビュー情報>
株式会社赤堀パッキング
代表取締役 赤堀 仁
会社ホームページ https://www.akahori-pk.co.jp/

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