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牧野電設①-父親の急逝を乗り越え社長としての覚悟が決まった2つの出来事


プロフィール

<社長プロフィール>
・牧野 長(まきの たける)
・1980年生まれ
・2002年入社
・2011年より現職
・2代目

<会社プロフィール>

・牧野電設株式会社
・業種:電気設備工事
・従業員:30名以上
・理念:『創意工夫』、『日々挑戦』
・創立:1978年

牧野電設株式会社(http://www.makino-d.co.jp/index.html


父親の急逝で代表就任

今でこそ、当社は日本にある電気工事会社の中で上位1.6%に属しています。

ところが、2000年になる直前くらいにバタバタと取引先がつぶれていった時期があり、当社も一番大変な時期を迎えることになりました。

当時、私は高校生でしたが、ある日、父親から「うちの会社は今月でつぶれるかもしれない。今日が恐らく家族で食事をする最後の日だ」と言われました。

元々、母親からは「お父さんの会社だけは継がないでほしい」と言われていました。

そういう状態でしたが、2002年、22才の時に父親に誘われて会社に入ることになりました。

以降、私は工事部に配属させられて、工事現場の監督をやるわけですが、2011年9月に先代社長である父親が急逝して、代表交代をします。



自分が経営を引き継ぐという意識はなかった

当時、年商13億で社員は13人でした。これは、「製造原価が割高になったとしても、人を抱えて固定費が上がることを防ぐ」という先代の経営スタイルでした。なので、7割8割は外注という状況でした。

引き継ぐ少し前の2011年の春ぐらいから新卒採用を始めていて、外注に依存する体質を解消しようと私が採用責任者として取り組んでいました。

事業承継を考えて始めたのはそのタイミングでしたが、自分が経営を引き継ぐという意識はありませんでした。当時は先代のほかに、先代の弟である私のおじさんや先輩が2人いたので、仮に先代が引退しても誰かを挟んだ上で自分なんだろうと、かなり他人事でした(笑)

でも思わぬ形で回ってきて、ネットで「社長の仕事」って検索するくらいよくわかっていなかったです。



親族役員との決別

社長としてのスイッチが入るのは、2015年の末から2016年にかけてくらいです。

私のおじさんが専務として2011年から、5年くらい一緒に仕事をしてくれていたんですけど、「人の育て方」について相違があって、2016年に追い出したんです。

専務がいれば確実に収益は上がるので、お金の面で悩みました。

ただ、ちょうど専務は60歳でしたからどれだけ今後活躍しても長くて10年だろうと。
当時私はまだ30歳そこそこでしたから、今後30年間もらったバトンを持って走り出さなければいけないわけです。

時間軸で考えたときに、「10年を見ていたらこの会社は10年でつぶれる」ということで、決意をしました。




新卒採用を通して固まった社長としての覚悟

あとは、2011年に新卒採用始めて13人だった社員が2016年には30人近くまで増えてきていて、20歳そこそこの人が新卒と言うカードを切って当社に来るわけじゃないですか。

私の感覚、考え方ひとつでその子たちの人生は大きく変わるので、経営者として人生を預かっているんだなっていう感覚が出てきたんです。

結局、人が動いて人の感情と向き合う中で、社長の仕事ってどろくさく一人ひとりに自分の感情や想いを伝えたり、話を理解してもらったりの繰り返しで、ゲームのコントローラーを握るような感覚ではできないと気づいたんです。

「スマートじゃなくなった」「社長らしくなくなった」というのが社長としてのスイッチが入った瞬間ですかね。



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牧野電設②-会社と社員は対等であるべき。徹底された人財教育とその考え方

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